気まずい共存
内田樹『サル化する世界』を読んでいます。
政策決定において自分たちの意見が無視されたと感じたメンバーはトップの失敗を「ざまあみろ」と嘲笑するだけで、その失敗に自分たちも責任があるとは思わない。劣勢から挽回するために全力を尽くす義務があるとも思わない。
経営者が経営判断に失敗したときに従業員は減俸とか解雇とかいうかたちで「ひどい目」に遭うわけですけれども、でも、経営の失敗について「バカな経営者だ」と冷笑することはあっても、申し訳なく思ったり、反省したりすることはありません。わが身の明日は心配だけれど、会社の明日のことなんか「知るかよ」で終わります。 (P.46)
組織がうまくいっている時、民主主義というものは面倒くさいものであると思われがちです。たくさんの人、多様な立場の人の意見を聞いて、合意形成を行うことは非常に難しいし、時間もかかる。全員が満足・納得できることなんて滅多にない。
それよりは、ひとりのトップや、一部の幹部たちだけで意思決定を行い、それに従わせる方が、ずっと効率的であるように思えます。
うまくいっている時、組織が勝っている時は、それでうまく回ります。
しかし問題は、一度失敗した時、劣勢に立たされた時です。
経営者、経営陣が判断に失敗した時に、従業員は誰も「自分のせいだ」とは思いませんし、思えません。
自分の知らないところ、関わらないところで決定が行われ、自分はそれに従っただけ。「自分に責任はない、トップの奴らざまあみろ」の感情が噴出します。自分の給料が下がったり、クビになったりすることは気になりますが、会社や組織の存続なんて「知るかよ」で終わりです。
意思決定に関わらなかった人は、「うまくいっていない」時、劣勢に立たされた時に「自分が主体となって挽回しよう」なんて思えないのです。
「組織のために」「会社のために」なんて気持ちは、まちがっても浮かんでこない。
組織の最初、あるいはうまくいっている時に、いかに合意形成の文化をつくれるかが、組織に対する当事者意識を育てる鍵になるのだと思います。
合意形成プロセスは時間もかかるでしょうし、面倒くさいでしょう。
好き勝手言う奴もでてくるでしょう。
全員が満足・納得できる意思決定なんてできないでしょう。
「こんな面倒くさいことをしなくても、一部の人たちだけ集めて決めてしまえばいいじゃないか。決めたことに従わせればいいじゃないか」と思う瞬間もでてくるでしょう。
しかし、面倒くささや難しさ、効率の悪さは「合意形成プロセスをすっ飛ばしていい」理由にはなりません。それをすっ飛ばせば、従業員の中に「自分は関係ない」「会社のことなんか知るか」という思いを育てるだけです。
たとえ合意形成には至らなくとも。
少なくともリーダーは、合意形成を目指す姿勢は見せなければいけないと思います。たとえ合意には至らなくとも、メンバーひとりひとりが「少なくともリーダーは、自分たちの意見を尊重してくれた」と感じられるように。
合意形成プロセスをきちんと踏もうとすることは、メンバーの中に「自分が組織を変えていくんだ」という意識を芽生えさせるきっかけになるのではないかと思います。難しんでしょうけど、その難しさと向き合わないといけないんでしょうね。
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