あこがれの世界で終わらせたくないから、書く仕事に手をのばす
「書く」を仕事にしている人たちは、ずっとあこがれの存在だった。
思いかえすと、それは子どものころから感じていた想いなのかもしれない。
小さいときから本が好きだった。物語の登場人物に感情をゆだねて、思いがけない展開に一喜一憂しては、心が空っぽになるくらい世界観に没入する。
特に小説は文字だけで構成された世界なのに、どんな映像作品よりも集中して物語を追いかけることができた。ひとたび夢中になると、結末をその目で見届けるまでは眠れなかった。
それから大人になっても、活字に抵抗を感じた経験はなく、文章は自分自身とずっと隣り合わせにあった。
ただ、自分にとって文章は書くものではなく、読むものだった。
文字だけですばらしい物語の世界を表現する小説、日常の隅々にまで想像を膨らませてくれるエッセイ、自分では思いもつかないアイデアを面白おかしく言葉にするブログ。
自分が今まで授業や講義の一貫で書いてきた文章とは、同列に語ることができないほど、それらの文章は多くの人を惹きつけてやまない魅力と尖りきった個性があった。
決して諦めや割り切りではなくて、どれも同じ目線に立つ発想が浮かばないほど、遠い遠い存在だった。
時が過ぎて、社会人として働くうちに、今まで読んだ小説を記録として残しておきたいと思うようになった。
最初は友だちしか見ていないInstagramで、淡々と読んだ本の感想を書いていた。少しして、ささいな日常の気づきも書いてみたいと思い、好きな芸人さんが使っていて気になっていたnoteをはじめた。
それから細々と続けているうちに、読んでくれる人も増えてきて、文章を書くことに面白さを感じるようになった。
思わず目を留めてしまう表現。
また読みたいとワクワクする文章。
読んだ人がおもしろかったと思える記事。
想像していた文脈に、ピッタリと当てはまる言葉の置き場所を考えだすと止まらないくらい、書くことは日常にすんなりと溶けこんでいった。
そんなふうにnoteで文章を書くうちに、ライターと呼ばれる職業について知るようになって、書くを仕事にしてみたいと思うようになった。
試行錯誤を繰りかえしながら、本やスクールを活用して書くスキルを学んでいると、書くことへのあこがれが増していくと同時に、書く仕事をする大変さも知った。
今でこそ輝いて見えるライターさんたちも、地道な作業をひたすら積み重ねながら、締め切りに追われながら、誰もが読んでくれるとは限らない記事を書いている。
それを知ってもなお、書く仕事に挑戦してみたい思いが変わらなかったのは、ライターをあこがれの世界のまま終わらせたくなかったから。
きっと書くことにチャレンジしなければ、書く仕事に興味を持つことがなければ、ライターはキラキラとしたあこがれの仕事のまま、心の内側にしまわれたままだったかもしれない。
ただ、書く仕事があると知って、その場所に同じように手を伸ばしている人に出会った。スクールでいっしょに学んだ人たちは、少しづつ仕事を獲得しながら、書くことを続けるために一生懸命に努力している。
それならば、どれだけ厳しい道だろうと、一度、歩いてみないわけにはいかないと思った。
実際に自分の足で踏みしめて、その感触を確かめたいと思った。
もし、険しい道のりであっても、泥だらけになったとしても、あこがれた世界をあこがれのまま終わらせたくない。キラキラとした場所だと思いこんだままより、泥だらけになるほうがよっぽど良かった。
もうすぐ20代も終わってしまうけれど、まだまだ自分の思ったような道のりを歩めているわけではない。道は半ばも半ば。
それでも、一歩ずつでいいから階段を登って、まだまだ距離があろうと手をのばすことは止めないでいたい。
1年後、この記事を見返したときに、悔いのないように。
ひたむきに。