ぼくの頭に暮らすバケモノ 日々風呂日記#19
ぼくは雨が嫌いだ。
天パでクセがめっちゃでるからとか、そんな話ではない。
いや、そんな話かも。
ぼくは昔から天パだ。
ただ、昔からといっても、幼稚園年少から中学3年まで剣道をしていたからずっと坊主だったので、その事実に気づいたのは高校生になってからではあるが。
高校に入る少し前から伸ばし始めた髪は、入学する頃には襟足は伸びて頑張れば束ねられるくらいにはなっていた。
その時になると、どうやらぼくの頭の上のそれは、雨や湿気を喰って意気揚々と踊り出すバケモノだということに気づく。
坊主にしていると天パになるという話は本当だろうか。
もしその事実を裏付けるための観察実験があったとするならば、間違いなくサンプルに上がるであろうくらいには天パだった。
ただそれを知った当時は、自分で言うのもなんだが多感な高校時代だ。
そのバケモノの奥に潜む愛嬌も、うまく飼い慣らす技術もお金もないお年頃。
とにかく嫌で嫌で仕方なくて、バイトで貯めたお金を費やしてストレートパーマを当てていたこともあるのは、間違いなく人生の黒歴史だ。
でも、今となればそれが見た目や、さらにそこから広がって、人が生み出す風景とも言えると考えているのだが、服装やファッションのような物に対する小さな自我の芽生えだったかもしれない、と思う。
今ではとても素晴らしいヘアサロンとそこで働く素晴らしいスタイリストさんとの出会いもあり、このバケモノの奔放さも含めて、可愛がれている。
さて、そんなぼくだけれど、ある日に、例にあぶれることなくお腹いっぱい湿気を食らって踊っているその子達を見て、ふと思ったことがある。
その日は確かに雨だったけれど、朝起きてからカーテンは閉めたままだった。
なのにその子達を見て、なんとなく雨だとわかった。
朝で寝ぼけてまだ耳も起きていないから、雨の音もあまり認識していないのに、だ。
その時、その子達が、なんだかめいいっぱい自分の周りの見えないけれど確かなそこにある環境みたいなものを捕まえて、それを知らせてくれているように思えた。
それがぼくがその子達をその子達と認識した初めての時だったかもしれない。
そんなことにふと気づくと、なんだかぼくは身体いっぱいを使って世界を感じている気持ちになった。
なにか、それを全力でぼくの身体は捕まえようと、あるいはそれにしがみつこうとして居るのかもしれない。
だって、地球は、そして時間は、ぼくなんて簡単に置き去りにしてしまうスピードで動いているのだから。
なんだか、漠然と日々を生きているぼくの代わりに、この子達は不器用に、ただ全力で生きているような気がしたとき、とてつもない愛らしさと、日々を浪費する自分に少し幻滅したりもした。
だからぼくは雨は好きで、嫌いだ。
その子達が見せてくれる愛らしさと、自分の変わらなさに辟易する寂しさが、同時に立ち現れてくるから。
それでも今日も無邪気にその子たちは僕の頭の上で踊っている。
今日の雨はおいしかっただろうか。
今確かにぼくは、ぼくたちはこの地球で生きて居る。
今日ののぼせ具合は90%。
夜はまだまだ寒いから、皆さんお体には気をつけて。
それでは。
ちなみにぼくは曇りは間違いなく好きです。
だって、大きな建築もそのエッジが空に溶けて、風景の一部になっていきそうだから。