都市という海を漂いながら人を愛する 日々風呂日記#24
ぼくは都市が好きだと思う。
その煌びやかさとか、新しさとか、そういうところに惹かれるのもあるけれど、それ以上に、あのどこにも属することなくただ漂うしかないあの空間が、心地いい。
カフェでお茶をしてても、仕事をしててオフィスに自分のデスクがあったって、どことなくそこに属することはできないような気持ちに、ぼくはなる。
それは一見とても悲しいようだけれど、逆にそれはぼくという1人の人間を過不足なくきちんと1人にしてくれるような気持ちになる。
部屋
例えば自分の部屋は、自分の好きなもの、家具、服、植物、ラグ、そういったもので埋め尽くされるから、なんだかその部屋分だけ自分が拡張されているようにも思える。その部屋自体が自分。みたいに。
希釈
確かにそれは、自分の世界が広がって、自分が大きくなったような喜びはあるけれど、その分なんだか自分というものが薄まって行くような気持ちになる時がある。水を増やしたのに、ぼく自身という原液の量は実は変わらないから、その分希釈される。そんな感覚。
地方
ぼくはこの間まで設計事務所に勤めるために群馬にいた。あいにく力不足でそそくさと撤退してきたのだけれど。群馬はとても空が広かった。大阪にずっと住んでいるぼくだから余計にそう感じた。
それは、とてもおおらかで、常に環境や地球みたいなものを感じるようで、最初は心地よかった。でも少し経つと、その常に大きなものと対峙しているような感覚は、少し怖くもなった。自分の小ささを感じるという以上に、もはや自分がどこにあるのかわからなくなるような、そんな感覚。相手が大きすぎて、自分を相対化できない感覚。そんな感じに近い。
都市
でも都市は少し、違う。確かに都市もとても大きな存在だけれど、やはり有限さは感じる。それに座ったり、少し立ち止まったりできるスケールの場所もある。なにより、人がいる。自分と変わらないスケールの人間という存在がいてくれるから、自分の小ささも、あるいは大きさも見失うことなく実感できる。それは過不足なく自分の大きさを知れるということであって、薄まることも濃くなることもなく、それ以上も以下もなく自分だけが、そこにある。
愛みたいなもの
そうするとなんだか、自分をきちんと愛せるような気がする。ダメな自分も、良いと思える自分も、ちゃんと測りとるこができるからかもしれない。そうした時、やっとそこにいる自分でない誰かの大きさもきちんとわかるような気になる。そして、ちゃんとその人を、その人として愛せるような気がする。
都市という海
そうやって、自分の、あるいは他の人の、大きな意味での大きさを実感しながら、でも当てもなく彷徨う感じは、海の上でぷかぷかと1人で浮いているような感じに似ているような気がする。どこにも居付けないけれど、どこにでも行ける。
だからぼくは都市は海みたいだな。って思う。
今日もそんな広大な海で自分を探し、あなたを愛しながら漂っている。
今日ののぼせ具合は100%
お風呂というより、自分の感情とかポエティックな文章にのぼせあがっている。恥ずかしい。
それでは今日はこの辺で。おやすみなさい。
新しい職場1日目だけれど、なんだか実感が湧かないままに終わってしまった。
曇りの空が行き先の不安を表しているようだった。