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極私的日記 リアタイでは尾崎豊が苦手だった、

リアタイでは尾崎豊が苦手だった、

尾崎豊。名前は知っていたが苦手だった。中高生の自分には何かストレート過ぎて、日々忙しい自分には
何を渇望している人なのだろう?と感じていた。

ただ、そのうち時が過ぎ、ラジオから有線から街中から「卒業」が聞こえてくるようになると圧倒されて
何か、もやっとしたもの、こう時代が終わったんだなあ、総決算させるアーティストが出てきたなあと、なぜか脱力した。

尾崎豊の「卒業」に歌われる歌詞は決して新しいメッセージではなかった。

その断片は当時のミニコミ誌やら深夜ラジオやら、新聞のベタ記事に載るような校内暴力やら体罰やら、さまざまに告発されながらも黙殺されていた小さな悲鳴たちであって、聞いたことのある内容だった。
しかし、それらを美しく体系的なストーリーに落とし込み、さながら司祭のように奏でる「卒業」は
安定成長で乾燥していた当時の時代の風景を少し湿らせた。

一部のマスコミが、10代の代弁者とか教祖とか言い出したのもこのころだ。

ただ、世代の近いアーティストとして危うさを感じた。この若さでここまで完成してしまったら一体彼はどこにいくのだろうか?と。

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その後しばらく尾崎って最近見ないね、聞かないね、と疎遠になり
マニアファンのようなクラスメートからニューヨークに行ったらしいとかうわさは聞いた。自分自身はファンというわけでもなかったのでそのままになってしまったが。

「卒業」のスマッシュヒット以降 遠くに感じ、忘れ去られた。テレビで特集されていた学生運動やってた連中は今何やっているのだろう、というネタとパラレルに感じだ。
若い時に完成してしまい、主張的に固まってしまうと残りの人生何をやってもほぼ転向とみなされてしまうだろう。

30過ぎ、40過ぎても「卒業」を歌えるのだろうか?、いや、歌えないだろう。
どうするのだろうか。

自分としては尾崎に対して冷ややかだった。男でファンを公言する人はあまりいなかったし、ちょっと悪い意味で人生に不満げな目でいっちゃってる男とか。女のファンは普通に病んでる系が多くてきもかった。

ただ記憶の片隅から尾崎の名前が消えかかっていた時、現代文の授業で「現在の詩人は誰か。」という課題があった。
その課題の講評で
老齢の先生の口から「尾崎豊」と答えた人が多かったという。

自分の中では終わっていて、キモイファンしかいないと思っていた尾崎豊の名前を上げる人がいるなんて、、
ファンらしいファンなどほぼ見かけないけど、これがいわゆる隠れ尾崎ファンか、、とすこしビビった。

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それから尾崎の名前を聞くのはラジオの追悼番組からだった。

もちろん大学の部室で最新(今から考えると最後の)アルバムを流しているイっちゃってるファンがいたからまだ歌っているのは知っていた。

それがいきなり追悼番組。

でも正直違和感が無かった。「そうか尾崎死んだのか、そりゃ、あの生き方してれば死ぬよな」っていうのが率直な当時の心境だった。

それからの報道はすごかった。特に葬儀には4万人が列をなしたというのは自分にインパクトを残した。

実は自分も当時、時代の証言者になれるというヤマしい気持ちで雨の中、護国寺で行われるという葬儀に池袋駅までは行ったのだ。

ただ今のようにスマホもなく護国寺がどこにあるのかさっぱりわからず、入場制限までしかれているという報道を耳にして、コンビニで地図を見て無理矢理行くほどのファンでもなかったし、ガチファンに失礼かなと思って家に帰った。

葬儀には4万人か、あと○年したら尾崎の享年と同じ歳になるけどその時俺が死んで4万人集まるのか?

集まるわけがない。家族ですら集まらないかもしれない。

それだけで尾崎を見直し、初めてアルバムを通しで聞いた。

その後、尾崎の過去のアルバムまで全てチャートに載りバカ売れしてTSUTAYAの尾崎関係は全て貸し出し中になった。
それどころか尾崎と付けば何でも売れるということでいわゆる尾崎本が平積みされ尾崎本コーナーができた、かなり怪しい創作のような尾崎本も多かったと記憶している。

尾崎を聞き返してみて自分が尾崎嫌いだったのは、近すぎて等身大だったのだろうと気付いた。
自分の声を録音して聞いてみると気持ちが悪く感じるような感じだ。

尾崎の死があり、自分の「過去になった十代」を思い返すとその距離の分、気持ち悪さが減少し尾崎のアルバムが初めて聞けた。

やっぱり最初のアルバムから完成されちゃっているよね、
リリースごとに粗削りが洗練されていけばよかったのに、
最初が完成されていたら、あとはピカソ的に崩していくことになるのは必然か。

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kuyu
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