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月に願いを込めて綿毛を飛ばします
流石に綺麗すぎるだろう。
嘆息して検索してみるとやはり中秋の名月だった。
そうした細やかな喜びを、月をこよなく愛した君に伝えてみたくなるのだけれど、君がまだ俺のよく知る君でいてくれているのなら、こんな美しい月を舐め回すように愛撫しているだろうから、わざわざ声を掛けるのは野暮というものだろう。
それでも綺麗な月を見て思い出す人がいるというのは、俺の人生の大切な喜びの一つだから、こうして
「めでる」【9月14日(土)】
47分。
俺が今日ムギコちゃんを愛でていただけの時間である。
テレビを観ながら、食事を摂りながら、寝付きに入りながら、ではない。
ただ、愛でる。
物言わぬ犬畜生に二言三言かけながら、耳を、顎を、腹を、撫でたりさすったりする。
それだけで、47分。
週のうち最も忙しい土曜日をそうやって過ごしている。
そういう非生産の喜びを抱いて今日も生きる。
「おやすみ」【9月13日(金)】
金曜日は週に唯一の休日である。
まるでたくさん働いているかのごとき書きぶりてあるが、朝から晩まで一日中働いている日というのがあまりないから、総労働時間は一般的な社会人に比べれば取るに足りない量である。夕方から働きに出て日が変わるより前に帰宅する、というような日ばかりだから、ほとんど毎日が休日のようなものであって、休日だからといって、それほど変わり映えがするわけではない。
それでも、休みの
付和雷同するや、健やかなるべし
よくできた対偶の例ですね、などと軽口を叩こうものなら袋叩きにされて燃やし尽くされる。社会がそうなったのか人々がそうなったのか俺には知る由もない。ただ、事実はそうなっているのだから世の趨勢には逆らわず付和雷同を決め込むのが社会人の嗜み。せいぜいラジオの枠が一つ空きましたね、と事実だけを述べて皮肉をにじませるにとどめるのがスマートな処世術というものだろう。
東京都知事、始球式で骨折、全治二ヶ月。