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「国益」【9月12日(木)】

 木曜日は仕事で京都へ行く。だから、京都のことを書こう。

 京都人というのは長年謂れのある偏見に苛まれている可哀想な連中であって、やれプライドが高いだのやれいけずだのと全国民からネタ的に消費され続けている。いくら謂れがあることとはいえ、「政治的な正しさ」を錦の御旗のように振り回す魑魅魍魎が跳梁跋扈する現代社会において、県民性・府民性のごとき幻想に基づく差別的な意識を煽りたてる言動は一般には慎むべきであろう。

 しかしながら、奈良県民だけは京都府民のことを妬み嫉む正統な権利=政治的に正しいルサンチマンを有すると俺は声高らかに宣言したい。


 俺たちが物心ついたころからずっと話題になっているのに一向に実現の気配がない夢の新技術。それがリニアモーターカーである。
 東海道をリニアが走るようになると、東京ー大阪間が一時間で移動できるようになる。そんな夢のような話を聞かされてもう二十年は優に経過しているが、今軽く調べてみると、最短で令和19年の開通が計画されているそうだ。令和19年?令和、19、年???????

 そんなリニアで揉めているのがご存知、名古屋ー大阪ルートの問題で、名古屋から奈良を経由して大阪へ向かう新ルートが構築される計画であるが、それに京都が待ったをかけているのだ。

 リニアは京都を通過させるべきだ、と京都府や京都市が主張する。これ自体は至極真っ当なものであり、この点について文句を垂れることができる人はいまい。現行の新幹線は京都を通るルートが敷かれているのであるし、リニアが通ることによる利益はどの都府県も享受したい。我が自治体が美味い汁を啜りたいという動機は極めて健全なものであって、それ自体は批判されるべきことではなかろう。問題は、主張のあり方である。


 「ねねと豊臣秀吉ゆかりの寺」という宗教性と全く無関係なキャッチコピーと節操のない商魂たくましいライトアップで国内外の観光客を惹きつけてやまない高台寺が音頭を取る形で、「京都を、リニアへ。」京の会という市民団体が結成され、リニアの路線は京都ルートにするべきであるとする旨の要望書が国土交通省を名宛人として提出された。その書き出しは以下の通り。

 日本の未来と国益のため、リニア中央新幹線は、京都駅を通るルートとする事が必要です。
 ぜひ早期に、国策として京都駅ルートを実現して下さい。

https://www.kodaiji.com/youbousho.pdf

 

 「日本の未来と国益のため」である。「京都のため」ではない。

 この「日本の未来と国益のため」というスローガンは、京都府民・市民の自尊心をくすぐったらしく、それ以来京都の駅や街中では、「日本の未来と国益のため、リニアを、京都へ。」というコピーがでかでかと印刷されたポスターが至るところに貼られていた。さすがに言葉がえげつないとの批判があったのか、京都府民・市民のなけなしの良心が作用したのか、いつからか「国益」という文言は削除されたが、「日本の未来のため」という文言は長く残り続けていた。

 つまり、京都は、リニア新幹線という最先端技術を奈良などというオワコン古都に投入するのは「国益」に反しており、我が京都にリニアを走らせることでより多くの観光客を京都に集中させることこそが「日本の未来のため」になる、と無邪気に信じているということである。


 かかる京都の傲慢に対して、何を言うんだ、奈良の方が古都としての歴史は古いし、大仏はでっかいし、鹿だってかわいいだろ、ほら、他にもなんだっけ、ほら、なんかあるだろ、ほら、あの、数年前になんかちょっと話題になった、腕いっぱい生えているキモい仏像とか、あと、なんだ、ほら、なんか、なんか、とにかく、奈良にだっていいところたくさんあるだろ!と激昂してくれるのは謂れもなく京都に反感だけ持っている、他県の有象無象であって、当の奈良県民は、こうした京都の主張については全く同感の意を示すよりほかにない。

 奈良が京都よりも優れていると考える奈良県民など、一人もいない。

 そう、ただの一人も、である。


 奈良県民は、「修学旅行は京都と奈良だった」と語る関東の人々に対して、「どうして奈良にわざわざ寄るんだ?全日程京都にいる方が楽しいだろ」と一人の例外もなく考えている。奈良に魅力的な観光資源があるなどと考えている奈良県民は皆無である。

 そういうわけで、奈良県民だって、リニアは奈良ではなく京都を通す方が「日本の未来と国益のため」には良いことであるのはわかっている。奈良と京都には厳然たる実力と魅力の差が存在する。いまさらそんなところで勝負をしかけるつもりは寸毫もない。京都は圧倒的な強者であって、奈良は圧倒的な弱者である。

 とはいえ、いや、だからこそ、圧倒的な強者である京都自身の口から、「日本の未来と国益のため」と言われてしまうと、さすがにやっかみの一言くらい言いたくなる。京都が栄えるのが「日本の未来と国益」が事実であるとしても、いや、それだからこそ、京都の人間はいけずだ高慢ちきだ、と負け惜しみの一つでも言いたくなるのであって、それを言う正統性が奈良県民にはある。

 お前の県にリニアを通しても「日本の未来と国益のため」にはならない、と正面から言われ、それを全面的に認めざるを得ない。そんな特異な立場にあるからこそ、我々は政治的に正しくルサンチマンを京都にぶつけることができる。
 それこそが、我々奈良県民の唯一のアイデンティティなのである。

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