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11月25日 クーリングオフ制度は百科事典が作った!?

視野を広げたい、が、どうしても自分が携わっている仕事中心になってしまう…
そんな問題意識をお持ちの方に、その日にちなんだ過去の事象をビジネス視点で掘り下げています。普段の仕事や興味の範囲を超えて、視野を広げ、ビジネスの頭の体操をするのにぴったり。

 →部分は、頭の体操する上での自分に対する質問例、です。



1931年(昭和6年)のこの日、平凡社が『大百科事典』を刊行開始しました。

今40代、50代の方にはご同意頂けると思うのですが、子供の頃、ほとんどの家に「百科事典」のセット、ありました。こんなの(平凡社HPより)。

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今回、あれだけ百科事典が各家庭に普及した裏に、いったい何があったのかを調べてみまたところ、面白い(?)事実がわかりました。

あの普及をもたらした販売チャネルは、なんと「訪問販売」だったのです。

高度成長期の日本。
物不足が解消され、三種の神器など消費が憧れになった時代。
将来は今より必ず良くなる。
だからちょっと背伸びして買っても大丈夫。という意識。
憧れの応接セットにステイタスを感じさせる重厚な背表紙の百科事典。
こうした時代の空気に、今も昔も変わらない、子供の教育熱という、感情と理性とにともにピッタリあてはまったのが百科事典だったのでしょう。

ただ、そのうちに行き過ぎ、1970年には強引な販売方法が問題となった「英語百科辞典ブリタニカ商法事件」が起こります。

告発状には以下のような記述がありました。

同社のセールスマンは英語百科事典やカセットテープの現物を見せないまま、これらを利用すれば幼児も英語を習得できるとか、定価46万円相当の商品を特別に22万円で売ると言ったが、これらは虚偽の説明であった

この事件は実は、72年にクーリングオフ(無条件解除権)を法制化するきっかけになった事件だったのです。

百科事典からなんとも意外な方向に話が展開しました。
私の親はいったいいくらで購入したのか、今になって心配になってきました…

→今では考えられない訪問販売で本を売るビジネス。当時はなぜ成り立ったのか?収益構造はどのようなものだったのか?一人当たりどれくらい販売すれば採算ラインだったのだろう?成約率はどれくらいだったのだろう?


最後までお読みいただきありがとうございます。
過去の投稿は以下にまとめていますので頭の体操ネタに覗いていただければ幸いです。




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