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【土佐弁】高知では人が死ぬ・亡くなることを『満てる(みてる)』と言う……、といった話。

人というものは生まれたからには必ず1度は死ぬわけです。つまり人にとって『生きる』ことと『死ぬ』ことは普遍的なことだと言えます。

ところで……

標準語っていいますか、一般的には人が寿命で死んだ際に『亡くなる』『亡くなった』って言いますよね。

私の住む地域、高知県では人が天寿を全うして亡くなることを『満てる(みてる)』『満てた(みてた)』と言うわけです。

『死ぬ・亡くなる(標準語)⇔満てる(土佐弁)』

『死んだ・亡くなった(標準語)⇔満てた(土佐弁)』

ってことです。

ちなみに『満てる』『満てた』ってのは、昔使われていて今は廃れてしまった言葉などではなく、今でも人が亡くなった際には普通に使われている言葉です。

私、若い頃は殆ど県外に居たんですが、人が亡くなった時に『満てる』『満てた』って言い方をしているのを県外では聞いたことがないわけです。

つまり!!

人が亡くなることに対して『満てる』『満てた』って言うのは、高知県以外ではあまり使われることのない言葉、いわゆる土佐弁と言われる方言だと思われます。

標準語においては

「〇〇さんが亡くなった」

「〇〇さんが死んだ」

というのが土佐弁なら

「〇〇さんが満てた」

って言い方をするってことです。

あるいは私が大好きなBUCK-TICKの曲にもある『memento mori(メメント・モリ)』の意味である、

「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」

を土佐弁で言うとするならば、

「自分がいつか必ず満てることを忘れるな」

ってことなんですね。

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ところで……

実際の話、高知県出身の配偶者を持つ人が、高知県の親戚からの電話で「〇〇が満てた」って言われて「?」ってな風に感じたって経験のある方も、きっと大勢居ることでしょうね。

標準語の『亡くなる』『亡くなった』の意味するところは『無くなる』から来ているのは言うまでもないでしょう。

土佐弁の『満てる』『満てた』ってのは『満杯になった、いっぱいになった』ってことを意味するわけです。

同じ死を意味する言葉でありながら、方や『無くなる』、もう一方は『いっぱいになる』、つまり標準語と土佐弁では死という現象を、まるっきり逆にとらえているようにもみえるんですよね。

そうした言葉が与える印象としては……、、、

『亡くなる』は『空っぽ』といった空虚な虚無感のようなものが感じられます。

『満てる』は『満たされた』といった、死という現象でありながらも満足感すら感じられ、前向きな印象すら受けるわけです。

実際の話、人が亡くなると残された者は寂しい気分になるわけですが、故人の命というものが『空っぽ』になったから旅立ってしまったのか、あるいは『満たされた』からこそ旅立って行ったのか、故人への思いも捉え方によっては全く違ったものになるってことが言えます。

ところで……

人の命とは器のようなもので、その器の容量ってのは寿命と呼称され人それぞれ違っているわけです。

人それぞれが持っている『命という器』、生を受け年齢を重なるごとに命の器は『生きて来た証』のようなものでだんだんと満たされていくんでしょう。

そして、その器がいっぱいに満ちた時点で人は天寿を全うしたこととなり死ぬ、即ち『満てる』わけなんですよね。

つまり!!

『満てる』『満てた』ってのは「満たされた満足のいく人生だったね」といった感じの故人への想いのこもった言葉でもあるんでしょう。

それならば……

天寿を全う出来なかった、不慮の事故死や若くしての突然死といった場合、どのような言い方をするのか?

っていうと、普通に考えれば『亡くなった』みたいな言い方をしそうっていいますか、厳密に言葉を選べば実際はそう言うべきなのかもしれませんが……

実際は不慮の死であったとしても、普通に『満てる』『満てた』って言うことが多いんですね。

天国なのか極楽浄土なのかは分かりませんが、これからあの世へと旅立っていく故人に対して、あえて「満たされない満足できない人生だったね」みたいなことを言う必要は無いでしょう?

人間というもの生まれてきたからには誰もが必ず一度は満てるわけです。

いざ自分が満てる時、はたしてその生命の器を満たしているのはどのような生きて来た証なのか?

不幸を嘆く瞬間、幸せに歓喜する瞬間、いずれの瞬間であっても等しく命の器を満たしていく要素だとするならば……、、、

自分が満てる瞬間には出来るだけ多くの幸せで命という器が満たされていて欲しいものですよね。

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