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細川貂々「どうして死んじゃうんだろう?」…辛いから死んじゃったのではないの…?

生きるとか、死ぬとか、
そういうテーマの記事です。

自分で終わるのを選んだ方の事も、書いてありますので
今、そういう部分に触れたくない方は
読むのをお控えください。

ゆっくり休んでくださいね。


本の感想とは、ちょっと違うかもしれません
最初に謝っておきます…。

生きるとか死ぬとか、そういうテーマって
本当に昔からいろいろ哲学されていて、
私もこういうことを結構考えているたちです。

生きることは、意味があるともないとも言える。
どっちとも言える。
意味は、自分で作ることもできる。
いまのとこ、私は折衷案っていうの?
どっちでもある、みたいな感じに考えています。

この本も、内容はその
「人はなぜ、生きて死んでいくのか?」っていうテーマを
宗教ごとに紹介していく本(だと私は思ったけど…)で、
そしたらそれでよかったし、アマゾンさんのレビューも
良い感じなのです。

最初の導入部分が、まず
作者さんの知ってる方が突然亡くなってしまうんです。

それで、
「どうして死んじゃったの?」
から、本は始まるんですけど…。

内容の、生きてそしていつか死ぬ、って言うことに
折り合いをつけていく、って内容なんですけど
冒頭でなくなっている方は、自死されているのですよね…。

その方が亡くなったのを知って
「どうして死んじゃったの?」はわかるんですけど、
その冒頭から次の章が
仏陀様なの…。

仏陀様は高齢で、弟子の人は
死んでほしくなくって、でも仏陀様は悟っているから
その教えを聞いて、亡くなることを受け入れていく…っていう。

その後も、哲学者さん、お医者さんなどが出てくるけど
みんな、病気だったり、年齢だったり、
死刑だったり(これはすごくきついけど)

でも、自分で死ぬわけでは、ないのね…。

冒頭のひとは、どうして死んじゃったの?に関しては
そりゃあ、死を選んでしまいたいくらいの辛い事があったから
な訳で…。
悟りとか、そっちの話では、無いわけで…。

近づいてくる死を迎えるのと、
こっちから飛び込む死、っていうのは
ベクトルが違うっつーか、ジャンルが違うっつーか、

冒頭の
自分で死を選んでしまって、
「どうして死んじゃったの?」から始まるんであれば、
悟りがどうとかではなくって
苦しんで死ぬのを選んでしまうのはなぜか?
(それは苦しいからやろ。それはそう…)
その前に、その前にできることはなにかないのか?
(これも難しいけど…)
そこに至るまでのなんとか、できれば
回避するための手段とか
そっち方面なのではないの…?って、ちょと思ったんですよ…。

悟り方面じゃなくって、どっちかって言うと
生きるための内容に、なるのでは…?
冒頭の人の解決に、なんもなってなくね…?

「人が死ぬのは、不思議な事ではありません…」
って仏陀様がいってたけど
いやそこじゃなくって不思議とかどうこうじゃなくって
冒頭の人の?苦しみは?悲しみは?
その辺じゃね…?


人は、なぜ生きて死ぬのか?方面の話で最後までいって、
その冒頭の方の事に、全然いかなくって
????って、なってしまった…。

近づいてくる死を受け止めるのと、
自分から飛び込む死っていうのは、
なんかうまくいえないけど、ベクトルが違うな…?と
思いながら読みました。
うーん、うまく書けなくてすみません…。

担当さんからの提案とかだったのかも…?
そうかもしれませんね??





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