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自己否定の鬼と友人たち
昨日の夜、ヤツがやってきた。希死念慮だ。
わたしの場合は死にたいとか、死んだら楽になれるかなという感情より
「もうわたしなんていなくなればいいのに」
「なんでわたしなんかが生きてるんだろう」
みたいな気持ちが心の底の深い部分からぐつぐつ湧き上がってきて もうそれしか考えられなくなってしまう。無価値感、というらしい。
はやく寝ようと思ったけど眠れるわけもなく ひさしぶりに睡眠薬を飲んで寝た。
昨日は結構調子が悪くて「これ何錠飲んだら死ねるんだろう」と思って調べてしまっていた。
幸い、持っている量では全然死ねそうになかったので諦めた。
いつか寛解してこのnoteを振り返ったとき「こんなこともあったなあ」と思えたらいいな。
今朝起きたとき、希死念慮は薄れていたが昨日のSOSに対する友人たちからの返信がたまっていた。
ありがて〜〜人間たちである。
憂鬱な気持ちを何度紐解いても自己否定に行き着くわたしにとって わたしを諦めないでいてくれるこのひとたちは恩人というか最大の応援団だ。
chatGPTとの対談を通して今回の希死念慮の原因もやはり自己否定であることに気づいた。
自己否定の鬼だ。プロと呼んでほしい。
ヒス構文みたいな感じで自己否定構文とか流行ったらぜったいバズれる、自信がある。
・好きだったひととの関係が終わってうまれた「愛されたかったのに愛されなかった」という感情
・周りはほとんど恋人がいるのにわたしはなぜ”普通の恋愛”ができないのだろうという焦り
・ここ数日外に出られなかったりお風呂にも入れなかったりしている自分への嫌悪感や許せない気持ち
・上の点も含め診断書が切れるのに回復に向かっていないことへの焦り(来月からの復職はできないんだろうなあ)
これらがすべて「適応障害でなにもできなくなった自分(いまのありのままの自分の状態)」では誰からも愛されないし 存在している価値はないと思ってしまう原因となり、いまの自分を否定し始めてまうのだ。
もういまわたしの身の回りにあるすべてが自己否定の理由になりうる、というか すべてにおいて自己否定しながら生きてきてしまったからこうなったんだとやっと気づくことができた。適応障害だからというより わたしはわたし自身が愛されて、存在するだけで価値のある人間だということを理解できない。
なにかと聞くことが増えた「自己肯定感」とかの以前の問題かもしれない。
家族の機嫌がすべてで 見捨てられたり置いていかれたりしないためには家族の機嫌を損ねずにいい子にしていなくてはならないと思いながら幼少期を過ごしてしまったからだろう。
幼少期は「わたしがいなくなれば家族が幸せになれる」と本気で信じていたし
きちんと愛されて安心して守られていなくてはならない時期を わたしは不安定な精神状態のまま過ごし大人になってしまった。
「だいじょうぶだよ、あなたは1人じゃないよ」とそばで言ってくれるひとが欲しい。
でも、それを受け取るのも怖い。
また見捨てられるかもしれないし わたしは愛されるに値する人間ではないと思い込んでいるから。
それでも友人たちは諦めないでいてくれる。
懲りずに「大切だ」「だいすきだ」と伝えてくれる。
そしてその気持ちはあたりまえなのだとも伝えてくれる。
でもこの2ヶ月間、忙しい中でも時間を作って会ってくれたり駆けつけてくれたりすぐに連絡をくれたりみんなのあたたかさをこれでもかというくらい受け取った。
それでもまだ信じられないことが失礼なのはわかってるけど 少しずつでも友人の言葉を受け止めて受け入れる努力をしようと思う。
自分の考え方を変えることがいちばん大切だと思うけど そのためには友人たちのくれる言葉や行動が即効性のある特効薬だと思うから。