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Audible『なぜ格差は広がり、どんどん貧しくなるのか?『資本論』について佐藤優先生に聞いてみた』佐藤優(2023・Gakken)

オーディブルで聴いてたこちらのご著書。この中にこんな記述が。

(略)
これに対してマルクスはハンナ・アーレントのように労働を否定的なものとは捉えていませんでした。マルクスは労働により個々人の創造性が発揮されそれが自己実現の契機になることを目指していたのです。その意味でマルクスにとっての労働はアレーントの労働(単純生産作業)と仕事(創造的生産活動)とを融合させたものであると言えます。
単純労働ではなくやりがいのある仕事が必要。
しかしマルクスの時代はもちろん現代においても多くの労働者は画一的で単調な作業を強いられています。労働にやりがいを回復させるためには画一化された機械的な労働をもたらす分業を廃し、多種多様な労働に従事できる労働環境を導入しなければなりません。それは労働者が資本主義のシステムに包摂される(とりこまれる)ことを克服して労働を魅力的なものにするためのステップなのです。

第5章 資本主義から身を守る方法を教えてください!
労働における「やりがい」を回復させるには?

たまたま並行して読んでいたのが『週末の縄文人』なのですが、こちらにはこうある。

社会人になって4年くらいが経ったころ、そんな生活にちょっと飽きてきた。似たような1年のサイクルを繰り返す中で、なぜだか、生きていることの意味が分からなくなってしまったのだ。いったい原因は何だろう?
必死に働いている仕事が、本当に人や社会の役に立っているのか、疑問を抱くようになったからだろうか。そうして稼いだお金で行う消費的な娯楽に、空しさを感じるようになったからかもしれない。はたまた、友人と交わす恋愛や愚痴などの代わり映えのしない会話に、飽き飽きしてきたからか? 理由は100個くらいあるようにも思えたし、そのどれもが決定的でないような気もした。

まえがきより。
ぜひあとがきもセットで読んでみてください。

やりがいなき労働とは・・・・

・組織の歯車
・ベルトコンベア
・敵総大将を誘き出すため囮に使われる捨て駒部隊(by『キングダム』)
・「余計はこと考えんな。オマエは俺の言う通りにしてりゃいーんだよ」
・「オマエの代わりはいくらでもいる」

ちょっとオーバーかもしれませんが、ついついこういうのをイメージしてしまいます(^^ゞ

佐藤先生の言われる通り、きっと多かれ少なかれ我ら一般庶民はこーゆう歯車労働を担わされる側なのだと思います。オモシロイとこは資本家に独占されがちで。
しかし、です! 週末縄文生活には「創造的なオモシロイ労働」も「ワンアクションしかない超単純労働」も、どっちも両方揃ってる。しかも途方もないレベルで。
ゼロ中のゼロからの試行錯誤と、原始的単純労働の嵐。作業はどれをとっても「たいへん」のひと言ですが、しかし週末縄文人のおふたりは、それらをあますことなく楽しみ尽くしておられるように見えるのです。

以前読んだ飲茶先生のご著書(たぶんこの本・・・・)


こちらに書いてあった。ケインズ先生の『歌を歌える人』だったか? ウロ覚えなのでアレですけども、100年後の予言(労働時間が激短するだろうという)に絡めて、そういう時代をハッピーに生きてゆくには「歌を歌えること」がとても大切、って。
歌を歌える人とはおそらく自分で自分を楽しませることのできる人のことです。まさに週末縄文人のおふたりのような。

歌える縄文人、リスペクト!!


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