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それでもなぜかモヤッとしたこと。
小3の娘は支援級に通っています。
いくつか、交流級で学ぶことがありましたが人数の多さや音や声の大きさがストレスになるようで、最近はそれが指の皮を剥く行為に繋がっていました。
なのでしばらくは交流級に行くのはやめて様子を見ようと担任とも話をしていました。
それでも最初の頃担任も交流級に行くように促したり、ちょっと強く言ったりといったこともあったようですが12月に入るとあまり促しなどもなく
「行かないって言ったのでまぁもういいかなと思ってこちらからどうとはもうしていません」という話があった。
単に聞くと諦められたんだな、と感じるところもありましたが促されてストレスになってとなるくらいならば、学校としても無理をしても動かないし、ストレスを余計にためて不登校になるよりもいいと想われたのかもしれません。
それに、クラスには彼女だけいるわけではないので個別対応をいつまでもお願いするわけにもいかないのだろうなぁとも思います。
先生の負担、学校側ができることの限界。そういうものを擦り合わせると諦められることも仕方ないのかもしれません。
期待され続けるよりいっそのこと、いいのかもしれません。ほどほどに見切りをつけられているほうがこちらも期待に応えなければと焦ったり頑張り続けるよりいいのかもしれない。
誰かに諦められたからといって、腐る必要もないし、自分自身さえ自分を信じてやっていければそれが一番だろうとも思います。
結果として良かったのか否かモヤッとしていたりもしますが、彼女なりのペースで歩めることに希望を抱いていくほうがよいのではないかとも思います。
彼女の人生は彼女のものだから、私がいちいち一喜一憂するのも本当は違うのかもしれません。
子供に対する評価に対していちいちつっかかるのも、これからは辞められるようになりたい。
どう評価されようと、彼女が憂わないのなら共に笑って突き進んでいこうと決めました。
何がどうなるかわかりません。
でも悪くなるとも限らない。
腐らず、憂うことなく、一歩一歩進んでいきたいなと改めて思います。