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母が病に倒れたとき、私の内面で起こったこと

4年前、母が病に倒れた

それは突然の交通事故のようなもの

私はその日、命がけレベルで楽しみにしていた大好きな映画監督のトークショー&30年近く前のデビュー作品の上映会があり、仕事が終わり電車にウキウキで乗ったちょうどそのとき…

妹から電話があり「母が横浜駅で倒れて、母から電話があった。呂律が回ってなかった。救急車がきて、病院が決まったら救急隊から電話がくる。父は横浜に向かった。」

「えー、これから映画観に行くのに、映画終わってからじゃだめなの?(私が行ったところで母の容態に影響ないから、行かなくて良くない?と素直な感情は思った)」

「何言ってんだ、おまえ。母が倒れて救急車で運ばれたんだぞ。」

「わかったよ、行くよ。呂律回ってなかったんだろ?脳だよ、脳。具合はどうなの?」

「わからん。連絡待ち。」

「わかった、私が横浜行くから、おまえは家に帰ってババの面倒みろ。」

「わかった。」

「じゃぁな。」

こんな会話を妹と交わして、私は横浜に向かった。

私は、母が倒れたと聞いても、正直な感情は大事な映画と映画監督の方が大事だった。(よりによってなぜ今日なの!?私が命がけで楽しみにしてた映画の日に。センター前よりの最高の席が空席になっちゃう。監督に申し訳ない。)なんて考えてた。

私は、生まれてこの方、母に懐けなかったのです。まして、これ以降に母に懐くことは、もはや無理でしょう。

だから大人になって、母が倒れたと聞いても、正直な感情は「なんでこんな日に?」「別に死んでもいい。(どっちでもいい。)」でした。

義務感として、「一家の長だから私がやらなきゃ。結局、第一子が全部責任とらなきゃいけないのよ、こういうとき。普段何もしてないけど、こういうときだけ、第一子の責任なのよ。」がありました。

いつも義務感で家を優先してるから。

何があっても、感情や身体は、自然現象ではそっちへ動かない。

義務感だけで「そっちへ動かなきゃ!」で、動く。結局はいつだって家族を優先する。

母の変わり果てた姿には、涙が出た。

それは母が死んだ涙だ。

だけれど母が必要とか、母に生きてて欲しいとか、そういった類の、いわゆる繫がりのような絆のようなものが無い。

あれから4年。

「母が死んでも構わない。別にいい。」という自分の素直な感情に、罪悪感さえ湧かない。

ただ、気になるのは、そういう人ってどのくらいの割合でいるんだろう、ということだけ。そこは、知れるものなら、知りたい。

意外に普遍的な感情かもしれない。みんな隠してるだけかも。私だって誰にも言ってない。非国民扱いされて余計生きづらくなりたくない。

(だけど私が感じてる感情って、他人に公表すると、ホントに少数派だと確かめるフィードバックを得ることが多い。)

生まれてから大人になっても、母に懐けない。

それが変だとも思わない。

悪いとも思わない。

「倒れた母に優しくするべき」、と義務感はいつも言う。けれど感情は動かない。体もうごかない。

もし私が何かで倒れたら、この報いが降りかかると思う。この報いでだれも助けてくれない現実を招くと思う。

それは嫌だけど、なんで母に積極的な手助けができないんだろ。嫌なことばかりされた、いつもいつだって邪魔されたから?もっと人間がシンプルでお気楽で単純で、楽しければいいのに。

母に優しくできたらいいのに、と思う。

だけど、心は壊れてる。心は何も動かない。母に対して、感情がない。

死んだら当然泣く。

それは今まであったものが無くなるから。

泣くけど、深い悲しみとか、母を想う気持ちとか、そういうものが私には正直いって欠けている。

なぜなら、「私の好きなもの」の中に、母も父も入っていない。私の敵の中にみんな入っちゃってさ。それも忘れたい。シンプルに楽しい人生が勝ち組だと思うわ。苦しむ必要のないところに、わざとらしく引っかかってないで。

好きなものにしか興味がもてない私は、変人だし、少数派だと思うけど、

好きなものへの愛情は深いし、依存も深い。

ただその対象が親ではなかっただけ。

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