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涙には消えてほしいけれど、消えること無く彩りをくれる。

先日投稿したnoteにコメントをいただいた。

noteの内容としては「悔しくて泣いた」というやつであり、コメントで「泣くことは大事です」と励ましをもらった。

ありがたいと思った。

それにも関わらず何をとち狂ったのか「泣くことは無くなることが無いと思うので、逆に無くなってほしい」という返事をした。

あたおかである。


泣いた自分を肯定してもらい、それが大事なものだと諭してもらいながら、「僕はそれを撲滅したい」とはよく言ったものだ。

例えるなら、一生懸命勉強して受けたテストが不合格となり「勉強したことは残るよ」とか「次は受かるよ」と励ましていた相手が、「決めた。オレ、試験官〇すわ」と言うようなもの。

励まして真っ当な道を歩くきっかけにしてもらうつもりが、思わぬ方向に舵を切り出した感じ。

もし本当に実行したら、事件の一端を担ったとして逮捕されるのだろうか。

そんな不安を抱かせる返事となっただろう。


ごめんなさい。

そんなつもりは無いのだ。

最初から言ってる通り「無くなることがない」。

だからこそ「撲滅してみたい」。

そんな無謀な理想であり、実行不可なプログラムだとちゃんと認識している。

一生のうち数時間しか関わらない人を〇すほど、僕の人生はポイ捨てできるものじゃない。


わかってはいるのだけど、やはり無くしたいものではある。

「これは言わない」と我慢することを選択したのは自分なのに、泣くことで人の興味を惹き、「どうしたの?」と相手から問わせて表現しようとする浅ましさ。

もちろんそんな策略は無かった。

感情が膨れ上がり、思考のせきが切れ、涙を止めようにも止まらない感じ。

それがなんとも人間らしい。

恥ずかしいけれど「人間である」という証明になる、数少ない現象。

僕が人間である限り、これが無くなることはない。

我慢の許容量は無限じゃないので、どこかで放出しなければならない。

その手段の一つとして「泣く」は生涯存在する。


たださ、やっぱりダサいのよね。

だからこそ無くしたい。

上のnoteでは「成人男性が悔しくて泣くのダサい」と話したけど、訂正する。

僕が泣くのがダサい。

主語を大きくして全体を総括して言うと、僕個人が背負うものが軽くなる。

そんな意図を無意識のうちに持っていて、あの発言が出たと思う。

だけど「泣く」のが似合う成人男性もいる。

なんなら「成人男性だから泣いちゃダメ」なんて時代錯誤も甚だしい。

辛く苦しいなら泣いてもいい。

それでストレスを解消して、明日をまた歩けるならどんどん泣いたらいい。

だけど僕が泣くことは許せない。


んー。

「許せない」は語感が強すぎるな。

許す許さないの話ではない。

泣きたいか泣きたくないかで言ったら「泣きたくない」。

だから「泣く」という選択肢そのものを撲滅したい。

僕が泣くのは解釈違いなのだ。

『チェンソーマン』に出てくる「マキマ」というキャラには人を蹂躙して欲しいというポストがXで流れてきた。

人に屈伏する姿は「解釈違いだ」と。

そんな感じ。

僕が泣くことは解釈違い。

そういう場面でも涙を一つも流さず、淡々と諦めたい。


究極を言えば、「感情なんて無くなればいいのに」ということなのだろうか。

まぁ確かに僕を振り回してばかりの無駄なものだと思う。

ただ、その「無駄」が僕をおもしろくさせてくれているとも思う。

「無駄」こそ人生の醍醐味だしね。

撲滅したいけど、それが成されることは無い。

無くなって欲しいけど、あるならあるで鮮やかになる。


めんどくさくて、おもしろい。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋


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