不快の対象をずらす【成長】
成長と不快感
成長を望むなら不快感について知り、
使いこなす必要があります。
何も望まなければ、
快適な範囲で現状の生活すれば良いだけですが、
もしも何かしらの変化を望むなら、
不快感について知り、適切な付き合い方をする必要があります。
今回は成長と不快感について考えてみます。
私たちは不快を避け、快に引き寄せられるだけの存在
私たちは、快適な領域の中で生きようとします。
快適な領域というのはよく見知った領域ということです。
過去に経験があることが、これに該当し基本的には過去と同じ選択、行動を行います。
私たちは無意識的に現状維持を選択する生き物なのです。
なぜそのように現状維持を選択するかと言うと、
快適な領域の外側は不快だからです。
外に出ると危ないから出たくない。
わからないものは怖く、怖いものは不快なのです。
というのが私たちの本能の考えなのです。
ですが、
この人生を楽しむため快適な領域の外側に積極的に出て行く必要がある場合があります。
転んで擦りむいて自転車にやっと乗れるようになって、何度も失敗してピアノが引けるようになったり、
未知のもの、出来ないことの中に目指すものがあるのです。
ですが、確かに不快なところに出て行くというのは難しいものです。
人間は脳内の快楽物質を放出させるために、
あらゆる行動をしているわけですが、
不快なところに行けば当然ストレスホルモンが分泌されます。
本能からして、あえて そんなことをする必要はないのです。
この本能に抗うのはほとんど不可能でしょう。
なので不快感を避け快適な領域に引き寄せられる。という性質を利用し、成長の方向へ向けるという不快感を利用するアプローチが必要になります。
快、不快の対象を変える
ではどのように不快感を利用するかというと、
何が不快であるか?という基準をずらすということが有効です。
例えば、ダイエットを目的にしているなら、
トレーニングは太っている時の自分からすると不快なものです。
しかし痩せているのが当たり前という基準に自分をずらすと、太っていることの方がより不快になるのです。
トレーニングは快適な領域に近づく、もしくは留まるための行為で不快なものではなくなります。
むしろ運動せずに食べるという行動に不快感を覚えます。
行動は真逆ですが、
不快なものを避け、
快適なものを求めるという本質的なことは変わりません。
私たちが変化を求めた時、
何を快、何を不快。とするかという基準をずらすということをまず最初にするべきです。
どれだけ意志が強くても、
不快なものに向かって行き続けるというのは無理があります。
傍からみそのように見える人たちも、
本人の中ではやらずにはいられない、当たり前で快適な行為なのです。
その行為を当たり前で快適とする存在になっていき、目標を達成していくのです。
今この瞬間理想の自分になる
ではどのように不快の対象をずらすかというと、
理想の姿をよりリアルにイメージすることです。
そして今この瞬間から、
その人物として振る舞うことです。
私たちは今この瞬間から好きな自分で生きること が選択できます。
時間は連続しているように思えて、
実際はコマ送りで、瞬間瞬間にどのような自分であるかということを意識して選択することができます。
ですから、今この瞬間から理想的な自分として振る舞うことが変化を望むなら重要なことです。
過去の記憶の中で、自分が快適と思っていたことは、今この瞬間には不快なものになるかもしれません。
それは、自分がどのような存在か?ということの定義が変わったからです。
過去は関係ありません。
過去の自分のイメージと今の自分のイメージが異なるため、そのイメージ通りの自分になるための必要な要素が変わるのは当然のことです。
変わりたいと思った時に、最もやるべきことは、
どのような存在になりたいか?
ということをリアルにイメージすることです。
そこに全てがかかっていると言っても過言ではありません。
それさえリアルにイメージできれば、
その後の行動は自然と起きてきます。
そうしないと気が済まないという状態になるのです。
サッカーが上手くなりたいなら、
どれだけ周りが止めようともサッカーの練習をするでしょう。周りから見たら ストイックに頑張っていると思われるかもしれませんが、
本人からすると、自分が自分であるために必要なことで、せずにはいられないのです。
そういった状態に至るまで、
リアルにイメージすることができれば変化や成長は約束されたものになるでしょう。
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