くろうど。

色んな思考 全部ワテクシ事 ポエムではなく陰謀論でもなく 普段は口にしないけど思っている事をスィー 25才高卒元ニートの思考の源流をそのままにスィー

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色んな思考 全部ワテクシ事 ポエムではなく陰謀論でもなく 普段は口にしないけど思っている事をスィー 25才高卒元ニートの思考の源流をそのままにスィー

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散々香ばしいことを連ねている俺のnoteの運用のイメージ 投稿すること=閉じられた自己、有限の領域が氾濫しそうだからそれを外部に移管する作業 普段見せない素の面だからこいつどんな奴だと気になったもの好きな人はこのnoteを頼りに解釈してねってイメージ むしろ介錯して欲しい

    • 自己肯定とはニュートラルな自己理解と見つけたりぃぃ!!

      自己「肯定」感がなかったここ10年弱は自己肯定感という言葉がとても流行っていた。 自己啓発本には必ずといっていいほどこの言葉が載っていた気がする。 でもそれがどんな感覚か、何となく意味を推察できても腑に落ちていなかった。 自己肯定感とは何なのか。 例のごとく辞書で調べてみた。 と行きたいところだったけど、どうやら検索にかけても個人の運営する辞書サイトやウィキペディア、自己啓発系のサイトくらいしか取り上げておらず、大手出版社の辞書には特に収録されていないみたいだった。 と

      • 生きてることって奇跡だ!…だから何だ!!!!平等に無価値だよ!!!

        発端よく自分の中に起こった感情とか反応についたなぜそう思うかを考えてる。 「本質論」とでもいうのかな。 ぱっと思いついたので言えば、 「何で温泉行ったときにタオルでチ〇コを隠さなければ恥ずかしさを感じるのか」 「何で俺はヒップホップじゃなくてロックが好きなのか」みたいな 割とどうでもいいことから、 「何で人とコミュニケーションした方が得なことが多いのにしない(したくない)のか」 「俺のしたいことって何だろう」 「金を稼ぐことにあんまり興味が湧かないのはなんでだろう」 「

        • 結局は優劣つけちまうんだな

          目瞑って音楽に浸ってる時にふと 「全人類の目を無くしたらもう少し幸福度上がんじゃね?」と思った。 だって見た目の良し悪しは好感度にめちゃくちゃ影響するから。 前まで長らく「「真人間キャンペーン」」をやっていたけど、それでも「無意識」に見た目の好みで女の子に順位付けする性質は消えなかったし。 そんな自分が嫌いだったけど今はもうそれはしょうがないものとして受け入れている。 いやスルーするようにしてる。 てめーの見てくれも大してよくねーのに何を人様に順位なんかつけてんだ??

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        散々香ばしいことを連ねている俺のnoteの運用のイメージ 投稿すること=閉じられた自己、有限の領域が氾濫しそうだからそれを外部に移管する作業 普段見せない素の面だからこいつどんな奴だと気になったもの好きな人はこのnoteを頼りに解釈してねってイメージ むしろ介錯して欲しい

          オレンジ色の太陽が地平線に沈む。静かなデッキの上、コーヒー片手にロッキングチェアに揺られながらそれをじっと眺める。

          もちろんそんな体験はしたことない。だって出不精だし。 夕暮れを眺めるのはいつだって室内から。 何かやろうという気だけ持って何もせず。 一日が終わる前兆に喪失感や己への失望を覚え、沈む太陽に俺の貴重な一日を終わらせる憎い奴のレッテルを貼って苦々しく眺めるのが俺のリアル。 誘い下手だから誰かに「日の入り見に行こうぜ!」なんて誘うこともない。 誘うこともないんだから、もちろん誘われることもない。 そもそも見に行くなら日の出だろ。 いやそんなことはどうでもいい。 この記事のタイト

          オレンジ色の太陽が地平線に沈む。静かなデッキの上、コーヒー片手にロッキングチェアに揺られながらそれをじっと眺める。

          俺のことをもうほとんど覚えていない祖母

          先日、実家に帰省したら母方の叔父がきていた。 叔父の母、俺から見たら母方の93歳の祖母が実家近くのケアハウスに入居しており、しばしばうちの母と共に面会に行っている。 元々は独り身の伯父が一人で祖母の世話をしていたが、夜間徘徊や物忘れが酷くなり、はたから見ても介護の負担が伯父のキャパを超えていたと感じた。 俺がまだ実家でニートをしていた時、母はよく伯父と通話をしていた。 後々話を聞くと、憔悴した様子で介護で溜まった諸々の感情を漏らしていたらしい。 実際、伯父と祖母が住んで

          俺のことをもうほとんど覚えていない祖母

          絶えず代謝して今がある。(後編)

          前編の続き 鹿は俺の中で血となり、肉となっている。狩猟の現場に直面し、実際に鹿を捌いて、それを食らう。 鹿の体に実際にナイフを入れた時は動悸が止まらなかった。 それは俺が動物としてのリアルを実感していなかったから。 生きるということに真剣に対面していなかったから。 全ての生命は「自分という個体」の外からエネルギーを取り込んで生きている。 植物の大半は太陽光と水と大地から。 肉食生物は肉と水から。 草食動物は草と水から。 雑食動物は肉や草、水などの全てから。

          絶えず代謝して今がある。(後編)

          絶えず代謝して今がある。(前編)

          最近「代謝」という言葉がよく頭に浮かぶ 「古いものと新しいものとが次々と入れ替わる」… この言葉に最近妙なリアルさを感じる。 そう感じるようになったきっかけがある。 北海道滝上町のゲストハウス「ふくらい家」でヘルパーとして半年間暮らしていた時のこと。 …… 紅葉が終わり、少し景色が寂しくなったある日、ふくらい家にたまに顔を出してくれる隣町の猟師のMさんが鹿猟に同行させてくれたことがあった。 「鹿が罠にかかったから駆除の見学する?」 唐突にメッセージが来る。 Mさん

          絶えず代謝して今がある。(前編)

          薪はあるけど種火がまだない

          爆発したい気持ち(岡本太郎的)があるけど、まだそれを表に出すことができてない。 noteに爆発させようと書きなぐってるけど、文字だといまいち温度が上がらない伝わらない。 文字は単語それぞれが一本の心もとない小枝。文章におこすことはその粗末な小枝を火中に丁寧にくべる行為でしかないから、瞬間的に爆発的な燃焼をすることができない。 一瞬でこの爆発を伝える媒体は何かないのか。 頭の中には俺の感情を実際に形にする色々なアイデアがある。 それを思いついた瞬間に思いついたまま世界に産

          薪はあるけど種火がまだない

          俺がやりたいこと:続・バリさん、あっちゃんとサウナに行ってから心の調子がちょっといい話

          前回の記事から続き バリさん、あっちゃんとサウナに入ってからというもの、興味のあることについて考えている。 本当にやりたいことって何だろう。 町おこしがやりたいわけじゃないなら俺は何がやりたい? このnoteを始めたのはなんでだっけ? 俺の心の中にあるものを吐き出したい。 心の中に燻っているモヤモヤを言葉というツールを使うことで理解したい。 腑に落としたい。 俺が感じた色々な感動を皆に共有したい。 子供が夢中で綺麗な石を拾ってそれを親や友達に見せるように。

          俺がやりたいこと:続・バリさん、あっちゃんとサウナに行ってから心の調子がちょっといい話

          バリさん、あっちゃんとサウナに行ってから心の調子がちょっといい話

          バリさん、あっちゃんと再開 4日前、上川のバリさんとあっちゃんがAKABIRA CAMP BREAKの出店を終えて滝上に来てくれた。火曜水曜オープンのカフェ「KARSUI」で遭遇。 バリさんが紺色のセットアップに黒いグラサンをかけた出で立ちで正直怖かった。 数か月振りの再開ということもあり、緊張でしばらく目を合わせられなかった。バリさんが普通の眼鏡にかけ替えた。勇気を出して凝視する。やがて目が会い指でハートを作ってくれた。たまらずこちらも返す。キュンです。(?) あっち

          バリさん、あっちゃんとサウナに行ってから心の調子がちょっといい話

          クオリアの話

          脳科学とか哲学の分野には「クオリア」っていう概念がある。 感覚質…俺が一番しっくりくる言い方で言うところの実感てとこかな。 雲一つない晴天を見たときの心のモヤモヤが一時的に晴れる感覚もそうだし、雨が降った後に太陽に照らされて香るコンクリートのムッとした匂いを嗅いでちょっと心が晴れる感覚もクオリアのひとつと言える。 赤ちゃんのほっぺたを触った時に感じる柔らかさと愛しさが押し寄せてくる感覚もそうだし、夏休みの宿題を最終日の夜に着手し始める時の、世界の終わりを感じる感覚もクオ

          クオリアの話

          自分の根底を覆す感動も、取りこぼしそうな心の機微も、言葉では100%表現できないから、その揺らぎを思い出すきっかけとして言葉にする試みをしていくのかもしれない。

          自分の根底を覆す感動も、取りこぼしそうな心の機微も、言葉では100%表現できないから、その揺らぎを思い出すきっかけとして言葉にする試みをしていくのかもしれない。

          定義づけ、言語化することはまだ見つけられていない概念を世間一般に明かすこと。 個人的な概念がみんなの常識になる。 文字に化すると書いて文化と言う。 でも文字はデジタル化であって完璧じゃない。 当初完璧な調和を持っていたその概念が明かされることで醜いものとなりはてることもある。

          定義づけ、言語化することはまだ見つけられていない概念を世間一般に明かすこと。 個人的な概念がみんなの常識になる。 文字に化すると書いて文化と言う。 でも文字はデジタル化であって完璧じゃない。 当初完璧な調和を持っていたその概念が明かされることで醜いものとなりはてることもある。

          書くテーマの整理

          書きたいこと?書けそうなこと?が割と頭の中にたまっているからひとまず整理。 …やばいやばい氾濫してるって

          書くテーマの整理

          一般的な文庫本一冊分のページ数は8〜10万文字だそうだから、その量を目指して書いていこう。 俺は文庫本一冊分の枠を与えられた時に、どんな内容でそれを満たすのかな。

          一般的な文庫本一冊分のページ数は8〜10万文字だそうだから、その量を目指して書いていこう。 俺は文庫本一冊分の枠を与えられた時に、どんな内容でそれを満たすのかな。