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絶えず代謝して今がある。(前編)

最近「代謝」という言葉がよく頭に浮かぶ

たい‐しゃ【代謝】
[名](スル)
古いものと新しいものとが次々と入れ替わること。「新陳—」
生体内で、物質が次々と化学的に変化して入れ替わること、また、それに伴ってエネルギーが出入りすること。

引用:デジタル大辞泉(小学館)

「古いものと新しいものとが次々と入れ替わる」…
この言葉に最近妙なリアルさを感じる。

そう感じるようになったきっかけがある。
北海道滝上町のゲストハウス「ふくらい家」でヘルパーとして半年間暮らしていた時のこと。

……

紅葉が終わり、少し景色が寂しくなったある日、ふくらい家にたまに顔を出してくれる隣町の猟師のMさんが鹿猟に同行させてくれたことがあった。

「鹿が罠にかかったから駆除の見学する?」
唐突にメッセージが来る。

Mさんは本業が酪農関係の方だったからその伝手で知り合いの牧場の一角で、害獣駆除のための罠を設置していた。

当時一緒にふくらい家でヘルパーをしていた変人文哉と共に、
「行きます!」
と即答。

近場のセイコーマートで待ち合わせをし、合流。一路現場へ。
牧場から林に少し入ったところ、いた。

「角が生えてる…オス…」

ワイヤーが足に絡みつき牡鹿はその場で横たわっていた。

Mさん「角振り回されたら普通に大けがするから気を付けてね。」

角のサイズはそんなに大きくない。まだ2~3歳といったところ。
それでも体格は俺や文哉なんかよりも大きい。「ブフーッ!ブフーッ!」という荒々しい呼吸を目の当たりにして怯む。

鹿のたくましい生命の表出に気圧されていると、Mさんが鹿の角と体を抑えて、懐からナイフを取り出す。
そして心臓に一突きする。

「「「ブエぇェェぇェェ!!!!!」」」

鹿が絶叫を上げる。

「苦しむ時間が長くなるから、躊躇したら駄目。」

そうMさんは淡々と言っていた。

その後牡鹿は何度か絶叫を上げた後、動かなくなった。

……

「鹿運ぶから手伝って」
そう言われて10メートルくらい動かすのを手伝う。
体の大きさから予想はしていたが、重い。
ブルーシートの上に鹿を横たえ、駆除証明の記録をするMさん。

「角いる?」
「じゃあ…記念に…?」
そんなやり取りをして、一般的に想像されるのよりは小ぶりな角をMさんがのこぎりで落とし手渡す。

さっきまで生きていたモノの一部。

「捌いてみる?」
「え…。」
そういってナイフを突き出す。Mさん。
Mさんに教えてもらいながら鹿にナイフを入れる。

後ろ足を取り、体を開き、内臓を取り、肉を取る。
途中、高い熱を帯びていた鹿の体からその熱が失われてきているのに気づく。
生命が終わり、その残滓も空気中に広がって溶けていく。
一つの生命が終わる。ひとつの物語が終わる。

「皮貰っていいですか?」
そう言い、鹿の皮を貰った。
「なめして毛皮にしてみます。」

そうして、その日は鹿の背ロースを分けてもらい、ふくらい家に帰った。

その晩、鹿肉をローストして文哉と食べた。

「美味いね。」
「うん、めっちゃ。」

そんな会話をしたことをおぼろげに思いだす。

……


以上がおそらくここ最近、俺が代謝について考えるきっかけとなった出来事。大体1年前のこと。ひとつの、それも野生の生命を直視した話。
この後日、文哉と生きることについての話をしたのは言うまでもない。

思いのほか…ではなく案の定そこそこの文量になったのでこの辺までを前編としてひとくくり。

次の後編では文哉との会話の抜粋と、この出来事に端を発する「代謝」についての考えを書きたいと思う。



ちなみにMさんは女性。念のため。

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