母と同じおやつをつくっていた夏
夏。子どもの時の夏は、一年でいちばん楽しい季節だった。真夏の昼下がり。おやつは近所の商店に100円玉数枚握りしめて買いに行ったアイスクリーム。それと、箱買いのサイダー。木箱に入って20本。それと、やっぱり木箱に入った甘酒。そして、夏の主役のスイカ。または寒天にあんこやジュースを流した羊羹ともゼリーともつかない手作りのおやつ。夏になるとおやつはいつもそれ。夜になると、母が寒天を溶かして作っていたけれど、冷蔵庫にあっても見向きもしない。そんな子ども時代。
寒天のおやつよりスーパーのプリンが魅力的だった
母が作るのは祖母直伝の寒天を使った固めで歯ごたえがしっかりある、母曰く『ゼリー』。寒天なのでふやかす時間を入れても食べられるまでには時間がかかる。寒天をふやかしているボウルをみると、ああ、そろそろまたつくるんだな、とつい斜めに見ていたかわいくない娘だった。
というのも、幼なじみの家で遊んでいるときに出してくれるおやつと、自分の家で出てくるおやつの違いに気づいていた。
幼なじみの家では、スーパーで買ったフルフルとやわらかいプリンやゼリーがおやつに出てくるのだ。正直、ものすごくうらやましかった。だって、母の作るゼリー(多分)は私の中では飽和していたのだ。
おやつといえば頻繁に寒天系列のおやつが出てくる。スーパーに売っているプリンが私は食べたかったのだ。何で寒天しか出てこないの、なんて古くさい。
時代錯誤なおやつに思えて仕方がなかったのである。
何でも手作りしていたあの時代
そういえば、母は昼間は仕事をして、夜はミシンの置いてある部屋でいつも何かしら作っている人だった。子ども時代の服は、母が作ったワンピースを姉とおそろいで着ていたのを思い出す。
お盆にそれを着て親戚の家に行くと、伯母達が母に作り方を聞いていた。まあ、まだそういう時代だったのだ、多分。母は割と器用に作る人だったから、難なくできていたのだろう。私とは対照的。
季節ごとの行事食も、祖母と二人で作ってしまう。大抵、前日から仕込みが始まるのでその様子を遠巻きにしながら眺めていた。明日は1日台所は大忙しだ、どうしようかな。長じては姉もそこに加わり、一人遊びほうけていた私は「手伝って」という声をいかにすり抜けるかが命題の数年間を過ごした。父は食べる人専門だったので、うらやましかったものだ。
スーパーに行くと、ゼリーやプリンの手作りセットもあったのに絶対に買ってはくれなかった。いつも素通り。何でも手作りが当たり前で過ごしてきた母は、そういうものは買いません、という信念を通していたのだ。
あとから買い物かごにそっと入れておいてもレジの時に見つけられてしまうので、なかなか手には入らなかった。
手作りの記憶は連綿と続くものなのか
なんだかんだですり抜けながらも大人になり、気づけば自分も母と同じようにせっせと息子に手作りゼリーを作るように。寒天よりお手軽なアガーを大袋で買っていた。
アガーも海藻が一部原料とはなっているが粉末であるため溶けやすく、完成までの時間が早い。寒天のようにふやかす時間は必要ないので時短ができる。
息子にはあれこれ作った。なかでも牛乳プリンが大好きだった。牛乳嫌いだったので、飲む代わりに食べてもらおうと頻繁に作ったのだ。牛乳との相性はこれまたよく、その味わいはいちど食べるとかなりやみつきになる。
まとめて作り、冷蔵庫の下の段にガラスの容器に入った牛乳プリン(プリンということにしていた)を並べておくと2日もあれば空になった。牛乳プリンを作るために牛乳1リットルを3本買い込んだものだ。
オレンジジュースを混ぜるとオレンジゼリーになり、コーヒーを混ぜるとコーヒーゼリーになる。そのどれもよく食べてくれたので作りがいがあった。アガーの量を調節すると、柔らかくのどごしのいいプリンにもなるし固めにすると羊羹みたいにしっかりとした歯ごたえとなる。
そのどちらも味わうことができるアガーは夏とはいわず、年中大活躍だ。アガーは欠かすことなく我が家の台所に鎮座していた。
そして息子の硬さの好みは、歯ごたえがあるものを好んだ。子どもの頃の私は、柔らかくフルッとしたものが好きだったのだが。
おかしなもので、息子は母の作った固めのゼリーが大好きだ。実家の冷蔵庫に寒天ゼリーがあるのを息子がみつけると「食べていい」と聞いてきた。なぜ好きかと問うてみると「固いのがいい」と答えた。
私が見向きもしなかった母の固いゼリーを、息子は好んでいつも食べる。そんな息子を見るにつけ、これもまた連綿と続く記憶の欠片なのかもしれないと思ったものだ。
さあ、また固いゼリーを作ろうか。まだまだ暑さは残暑となって、次の季節まで残っている。
そんな夏の名残の時期である。