読書記録:杉本鉞子『武士の娘』
NHKのファミリーヒストリーという番組をご存知だろうか。有名人のルーツを番組が調べ上げて感動的なVTRに仕上げたものを見せてくれる。ご先祖様が中世あたりまで遡れることもあり、何だか羨ましいなぁと思う。
自分のご先祖について調べるのは案外難しい。祖父母が存命であるうちに話を聞いておくべきなのだろうけれど、年に数回会えるかどうかの距離だとお互いの近況報告で終始してしまう。父方の祖父は90歳をこえてから脈絡なく昔話をしてくれるが、キツイ方言と謎の時間軸で話の概要を掴むのがやっとだ。ギヤマン(=ガラス)とかコウモリ(=傘)とか古めかしい単語も飛び出す。
その昔話のなかに江戸時代後期のご先祖(おそらく高祖父の父)の話があった。お江戸で散財した悪名高きご先祖様。父方は昔はちょっとした地主であったようだが、このご先祖の女遊び、明治維新後の地租改正や第二次大戦後の土地改革などを経てかなりの土地を減らしたと聞く。ご先祖もしっかりと時代に翻弄されていたようだ。また、戦争の時に蔵にあった古い書物をほとんど燃やしてしまったようで、残していたら貴重なものもあっただろうと祖父が悔しがっていた。
さて、杉本鉞子 著・大岩美代 訳『武士の娘』(ちくま文庫)は、越後長岡藩の家老であった武士の家に明治6年に生まれた著者が、移り住んだアメリカの雑誌に連載していたエッセイだ。英語で書かれたものを大岩氏が訳している。
武士の娘として受けた厳格な教育、明治時代の暮らしや旅の様子、アメリカでの子育てなど、なかなかに濃い内容である。アメリカ人向けに書かれたものなので当時の日本人の暮らしぶりが詳細に描写されており、想像していた明治との乖離が面白い。
開国、倒幕、文明開化。たった150年前の出来事なのだと驚かされるし、筆者と私の価値観の違いにも驚く。男女平等の時代を生きている私には、女性は淑やかに控えめにあるべきというのが具体的にどのようなものなのかもピンと来ない。明治は遠くになりにけり。
ずっと思っていた「顔も知らない人のもとに嫁ぐというのはどういう気持ちなのだろう」という疑問も、ひとつの回答を得ることができた。妻や嫁という役割がはっきりしているから、終身雇用してくれる企業に就職するような印象を受けた。家を管理し、子供を生み育て、家名を汚すことのないように守っていく。
以前に読んだ宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)はこの本と同じか少し下った時代の農村の人々の暮らしが書かれていた。比較して読むと面白いかもしれない。ただしこちらの本は農村の人々へのインタビューがそのまま記載されており、筆者の出身に近い西日本でのインタビューが多い為、そちらの方言に慣れていないと読みづらいと思う。
明治という時代は価値観がどんどん変わり、生活様式や移動速度も「進化」していて、その時代に生きていたら楽しかっただろうなと勝手に思ってしまう。
筆者の子孫ならばこの本は自分のルーツを知ることができる貴重な資料だろう。羨ましいな。私のご先祖もこのように素敵な文章を残していてくれたら良かったのに。いや、戦争で燃やされた中に日記なんかもあったのだろうか。
私の子孫が私の文章を読んで恥ずかしい思いをしないように、よくよく注意して書こうと思います。平成・令和もいつかは遠くなるらむ。
私が今生きているこの時代も150年後に振り返れば同じように映るだろうか。女性が固定された役割以外も選択できるようになり、一方で正解の価値観が固定・共有され、誰もが世界に向かって叫ぶことができるようになった時代。。。けっこうドラスティックな変化のなかで生きている気がしているのだけれど。
この本はまさにファミリーヒストリーを見ているかのような、ご先祖たちがそこにいた証を知ることができる貴重な体験でした。