「頑張れ」と自分に呪いをかけるのをやめた。
こんばんは、くぬみです☁️
ネガティブな題名かも知れません。
でも、共感してくれる方はたくさんいるはず。
ぜひ最後まで読んでいってください。
心が壊れた音がした
現在、私は台湾へ正規留学をし大学に通う大学生をしています。
毎日学校に通って、勉強して、たまに出かけて、美味しいものを食べにいって、将来に悩んでは、とりあえずまた予習復習して明日を過ごす、そんなありきたりな毎日を過ごしていました。
別に、何か特別な出来事があってネガティブになってるんじゃない。
突然やってくるんです。なんか気分乗らないかも、今日は元気ないかも。
頑張りたいのに、頑張れない日が。
たくさんやらなければいけないことはあって、自分の中で手をつけたいと本当に望んでいるのに、動けない日がある。
そういう日がすごくたまーにあるのですが、まあ大体は時間が解決するか、気分が上がることをすれば、ちょっとずつでも行動に移せるようになって元に戻っていくのですが、なんだがその時は違くて。
あーもう無理だ。
なぜ自分はこうなんだろう、どこに向かいたくて、何のために頑張ってるんだろう。そして、なぜ自分は頑張りきれないんだろう。
もう、しんどい。
とにかく目の前が真っ暗というか、ポジティブに気持ちを戻していきたい、とかではなくて、もう限界だ。というタイミングがあったんです。
無意味な劣等感を抱いていた
そこで冷静に現状を分析してみたんです。
確かに、頑張ってきた自分はいる。だからこそここにいるし、今がある。
でも、根本的にここまで来たかった理由は何なのか。
そこを突き詰めていくと、どうしても他人から吐き出された言葉に
自分の気持ちを乗せているようにしか聞こえないんです。
目指したい目標やなりたい姿とか、こういう人や世界に憧れる、っていうものは自分の中であったつもりだった。皆さんもそんな憧れや目標はあると思います。
でも、それは本当に自分が心から憧れているものなのか?
いいなぁ〜って思うかも知れないけど、そこに自分を置き換えて考えた時にピッタリとハマる感覚はありますか?
私の場合は何となくこういう自分になっていたら嬉しいな、というイメージはあったけど、実際にそうなっている自分を想像したらズレを感じました。
例えば、同級生が外国人に囲まれて海外でパーティーに参加しているストーリーをみたんです。羨ましいな〜自分もこうなりたいな〜と一瞬は思ったけど、じゃあ本当にこの場に参加したいか?と問いかけると、別に参加したいわけじゃないな。コミュニケーションを取れる自分ではいたいと思うけど、こういう場に出席したくて頑張りたいわけではないな、と思いました。
いいなぁーこんな場に参加したいけど、今の自分じゃこうはなれないや、って劣等感を感じてしまっていたけど、それは無意味な劣等感だったんです。
他人軸で頑張りすぎて見失った自分
そういう場面の積み重ねで、まだまだ自分はできていないから頑張らなきゃ、という原動力で動いてきたつもりだったけど、本当にそれは自分の頑張りたいことだったのか?という疑問が生まれました。
自分よりもできている人の背中を追っかけて、目標を掲げていた。
こんな人はすごいよね〜と言われるような人になりたいって心の奥底では思っていたみたい。
でもそれは、他人と自分を比べてそんな人になりたい、自分も人から尊敬される人になりたい、というのが目的の目標で、その先の自分はいなかった。
他人軸で物事を頑張りすぎていて、本当の自分はやりたいなんて思ってないのに、頑張ることで他人に認めて欲しくて、頑張っていたんです。
自分が一番自分に呪いをかけていた
もう限界。となって初めて、自分のこの状況を俯瞰することができました。
それだけ、自分は自分に対して「頑張れ」という言葉でやる気を呼び起こして、劣等感をバネにしてた。
「頑張れ」って言葉、勇気が出たりやる気スイッチを押してくれるのは間違いないです。
でも、もう十分に頑張って限界に近い中で、さらに追い討ちをかけるような「頑張れ」は「自分はさらに頑張らなければいけないんだ」という呪いになる気がします。
特に自分が一番、自分自身に「頑張れ」と言っていました。
「頑張れ」をやめてみて
でも一旦限界を超えた時に、
もう頑張れないから、自分に「頑張れ」と言うのをやめました。
「もう現時点で頑張っているし、少しずつやっていこう。
できなくても大丈夫、頑張りすぎないで。」
というような言葉を意識して自分に語りかけるようにしました。
前と比べて、心が軽くなりました。できなかった時にいちいち感じていた劣等感や、ズレた憧れから、少しは解放された気がします。
少しできただけで自分を褒められます。できていないことばかりに目を向けていた以前よりも、できていることに目を向けられることが増えました。
前のバリバリ頑張るぞ!と通常よりも頑張ることを重視した目標を立てていた自分よりは、できていることは減ったのかも知れない。
でも、追われている気持ちで頑張ることよりも、頑張りたいから頑張ろう、という気持ちに気付けるようになったと思います。
ただ今を生きて、やる。不安は拭えないけれど。
「頑張れ」をやめてみて、他人軸になってしまっていたとわかった今。
本当に自分がやりたいことは何なのか、心からの目標は何なのか、まだはっきりしません。不安で仕方ないし、まだどこかにある「頑張らなきゃ」という気持ちは消えていないかも知れない。
それでも、ただ前に進むのみ。ちょっとずつは進んでる。
過去は過ぎ去ったことだから、今を生きることしかできません。
でも過去は消えたわけじゃないから、
頑張った自分も限界を感じた自分も抱きしめて、
今を一生懸命に生きていきましょ☁️
☁️くぬみは今を生きるノート