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20年経っても消えない恩師の教え
恩師と呼べる人はいるだろうか?
私は中学校時代の部活の顧問が恩師だ。
あだ名は「ザビ」
頭の上がすこーし薄くなっていて、その姿があの有名なフランシスコ・ザビエルと重なる事から私たちは密かにそう呼んでいた。
恩師をザビエル呼ばわりするなんて罰当たりもいいところだし、フランシスコ・ザビエルにだって失礼である。
それでも当時の部員はザビのことをよく思っていなかったのだ。
これまでは、ズル休みしてフェンスの外から友達と覗きににくるような部員がいたって「あいつ、サボってるじゃん!バカだらぁ!」と笑って許されるくらい、ゆる~いスタンスでやっていたソフト部だった。
そこに新しくやってきたのが全国大会を経験しているというザビだったので、ソフト部は大騒ぎとなった。
厳しいのはもちろんで、その厳しさは着々と学校でも有名になっていった。
ゆるい空間しか知らなかった私たちは、はじめは「なんだあいつ!」と反発もしたし、「みんなでやめよう!」なんて井戸端会議もよく行われていた。
偉そうに反発しているが、自分がサボって怒られたのだから自業自得である。
そのくせ親には「勉強に集中したいから部活を辞めようか考えてる…。」などと非常にシリアスに伝えていたのだから笑える。
もちろんそんな嘘はみえみえで、「そう。」とだけ言われて終わった。
辛いから、厳しいから辞めたい・・。
自分に根性がないだけなのを隠したくて、勉強が・・・とそれっぽく言い出したのである。
喘息のこともあるし・・・と辞める理由を次から次へとつけたしていった。
ソフトボールは好きだった。小学生の頃からずっとソフト部に入りたかった。
でも、つらく厳しいのは嫌だった。もっと遊びたい気持ちもある。
そんなことを理由に本気で辞めようと思っていた。
いよいよ辞めようと思い、ザビへ言いにいこうとしたが、職員室へ入るザビに声をかけそびれて以来タイミングを見失ってしまい、結局私は辞めなかったしみんなも辞めなかった。
それどころかみんな3年間続け、挙げ句の果てにはチーム全員が「全国へ行こう!」と口を揃えて言うようになった。
まさか、この根性がない部員たちの口から「全国」という言葉が出るなんて思いもしなかった。
でも、あの頃の私はこのメンバーなら行けると本気で思っていた。
それはなぜか?
みんながザビのことを信頼し、そしてなによりソフトボールもだいすきだったからだ。
私達の代の部員のほとんどが、部活以外にも地元の週2回のナイター練習に参加していたし、部活が休みの日は部長の家に集まって試合のビデオを見たり自主練習をした。
私は生まれて初めて「嫌だな・辛いな」ということに向き合って1つの壁を乗り越えることができた。
きっとザビに出会わなかったらみんなこんなにのめり込むことなんてなかったんじゃないかと思っている。
私を、そしてチームを変えたのは紛れもなくザビだった。
どうやってソフト部が変わっていったのか?どんなことを教わっていたのか?
あれからもう20年が経とうとするが、ザビが言ったことをいまだに私は覚えている。そして、今でも私の中の一部となって生き続けている。
その言葉たちをここに綴る。
「良い選手である前に良い人間になれ。」
「誰からも愛されるソフト部になれ。」
これはザビが出会った頃から何度も何度も繰り返していたこと。
とにかくあいさつをする。校則を守る。時間を守る。ソフトボールだけでなく勉強もきちんとする・・・そういうあたりまえのことをする。
校則ならスカートは短くしない。
スカートの長さすら守れない、我慢することもできない人間が試合の大事な瞬間に我慢できるわけがない。
そういう人間がソフトボールでも大事なところでミスをする。
というのがザビの教えだ。
校則だからスカートを短くするな!と言われるよりもよっぽど納得できると当時は感心してしまった。
あいさつは自分からすること。
掃除など面倒くさい事は率先してやること。
一生懸命やっていれば必ず見ている人はいる。そうすれば応援してもらえるようになる。
ザビは力づくで「やれ!」とは言わない。
なぜそれが必要なのか説明してくれる。
皆が納得した上だったから、素直に受け入れることができた。
だからこそ、みんながザビを信頼できた。
ある日、部員が学校帰りに自販機でコーラを買っていたことをザビは厳しく注意した。
近所の人が見たら「●●中学校の生徒が」と言われてしまう。
それは1人の問題ではなく、学校全体の問題となってしまう。
そして、運動選手がコーラを飲むというところも合せて注意した。
お菓子や炭酸ジュースは辞めるように言われた。
試合前には「緊張する。」という言葉を徹底的に言わせないようにした。
言葉は人から人へうつっていくもの。
1人が緊張すると言うと、全然緊張していなかった周りの人も緊張してしまう。
こういうちょっとしたこともザビは徹底させた。
そんなザビが話してくれた話の中でインパクトのある話の1つが、全国大会へ行ったという少女の話だった。
テレビか何かでやったのか?ザビが直接本人から聞いたのかは忘れてしまったが、全国大会へ行った少女に「どうやったら全国へ行けますか?」という質問の回答が
「毎日皿洗いをしたら全国へ行けました。」というもの。
皿洗いをして全国へ行けることの意味がわからず困惑したが、その子は熱が出てうなされている時でも、ベッドに皿を持ってきて貰って洗っていたというではないか!
ようはなんでも自分が決めたことを毎日欠かさずやり続けるのが大事だということ。
この話はあまりのインパクトに今でも覚えている。
大人になった今でも毎日決めたことをやるというのは中々できないものである。
その子が決めたのはたかが皿洗いかもしれないが、毎日やり続けるというのはどんな事も簡単なことではない。
もう1つ、私の心の中に残っているザビの教えは「声を出すこと」だ。
私は声を出すことに意味があるんて考えてもみなかった。
「声はプレー中に味方を助けるだけじゃない。声を出すことで相手を萎縮させることもできるんだ。」
声を出す事で相手が萎縮するなんて、心理的なことを初めて聞いた私は目から鱗で、
声を出せば勝てるチャンスが広がる。
しかも声を出すことは難しいことじゃなくて今から誰にでもできること。
だったらやったほうが絶対にいい。
なんてお得な話なのだと感心してしまった。
そして、私はいかなる時も声を出していこうと心に決めた。
この日から声を出し続けて、審判に「うるさいから止めてもらえませんか?」と言われる日もあったくらいだけれど、結局はこの声が私らしいと言ってもらえたり、最終的には「こんなに声を出す子はいない!」という理由から高校から注目してもらって特待入学することができた。
現在もそうだ。
仕事でも声を出すのには理由がある。
売場に活気を出して商品の鮮度を上げる。
私はここにいる。ということを伝えて万引き防止という防犯の意味で声を出す。
「いらっしゃいませ。」ということでお客様が話しかけやすい雰囲気を作る。
売り込み商品に気付いてもらう・・・などあの頃と変わらず今でも声を出している。
先輩後輩関係についてもザビの教えはこうだ。
「3年が率先して荷物を持ちなさい。」
ザビが来るまでは荷物運びもトンボもすべて1年にやらせていた。
でも、ザビはどんなことも常に3年に率先してやらせていた。
そのおかげで片付けもテキパキとみんなやるようになった。
今考えるとこういうことも活きてるなぁ。と感じる。
ザビは私たちにソフトボールだけではなく人生で必要な事を教えてくれたのだ。
あのときザビがうちの中学へ来なかったら、きっと本気で何かに打ち込むこともなく、嫌なことからは逃げるような学校生活を送っていたかもしれない。
私たちは結局、全国大会へは行けなかったけども、20年経った今でも心に残るような事を教えてくれたザビに心から感謝している。
今でも当時よく聴いていた、ロードオブメジャーの雑走を聞くと、がむしゃらだったあの頃を思い出して今の自分も「もっと何かできる。」そういう気持ちが溢れてきて私は踏まれてもまた前へ進むのである。
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