【学び】歴史上のあの人が書いた "日本橋" の文字
こんにちは、くまがく散歩部のMarcoです。
東京駅 東側の地 “八重洲” の由来を知った後、中央通りを北側に歩き、ここ日本の国道の起点でもある “日本橋” へと歩いてきました。
目につく同じ書体の「日本橋」の文字
日本橋に到着し、周りに目を向けると「日本橋」と書かれた文字が目に入ってきます。例えば、日本橋の欄干や高速道路に設置されているプレート、三越側に渡る手前の日本橋由来記の碑に彫られた文字など・・・よく見ると、これら書体が全部同じなんですよね。
日本橋の文字を書いたのは・・・
これだけ同じ書体の “日本橋” という文字が使われているということは、明らかに有名な方によって書かれたものじゃないかと、そう思うわけです。
この “日本橋” の文字、そう、徳川幕府最後の将軍・第15代 徳川慶喜公によって書かれたもので、当時の東京市長が徳川慶喜公に依頼したのだそうです。その依頼背景については↓のサイトに書かれてありました。
普段何気なく視界に入っては通り過ぎてしまっているものも、少し目を向けてみると、そこにはいろんな背景や理由があって、当時のことは実際分かりませんが、ほんの少しだけでも知ることができるのはおもしろく、また一つ賢くなったということにしておいて・・・本日の内容いかがでしたでしょうか?
良いも悪いも「読んだよ〜」という方は、ぜひ♡(スキ)していただけると、次の投稿のエネルギーになります。
また次回もよろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました〜
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