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眠る、夢、雑感。
夢見る少女じゃいられない!
私が学生の頃、相川七瀬さんという歌手の歌が流行っていた。
私はスペースシャワーTVで流れる「BREAK OUT!」のMVを見て「なんてかわいい顔立ちの人なんだろう」と祖母の自宅の和室の畳の上でごろごろしながら彼女の顔に見惚れていた。
夢見る少女じゃいられない、のか。
私はこの先どうなるんだろう....?
先が見えない自分を持て余していた私は
いつのまにやら夢ばかり見る大人になってしまった。
隙があれば大なり小なり妄想ばかりしている。
こんなことしたい。
あんなところに行きたい。
あれを食べたい。
考えるだけで幸せになってくる。
心があたたかく満ちてきて....。
妄想の世界はやさしい。
私がお仕事で関わる人たちは、妄想すらできなくなってしまった人が案外多いのだ。
「何したいですか?」
「どうなりたいですか?」
と伺っても、
「何もしたくない」
「こんな体で何もできない」
「もう年だし」
と返ってくるのが大半。
まあ、そりゃそうだよな、と思う。
状況を考えてみれば、そうだよねと思う。
でもそうだよなで終わらせたくない自分もいる。
少しずつ少しずつ接しながら、カタチを変えながら聞いていくと、朧げな、儚げな、やっと震えながら立ち始めた子鹿のような、その方の願望の切れ端みたいなものが、ひゅっと出てきたりする。気を許していると見過ごしてしまう。skyfishのような存在。
あ!今通ったよね。
あなたの切れ端。あなたのカケラ。
大体それはお話のメインストリートにいる時じゃなくて、ちょっと寄り道してる時。
たわいのない雑談の中でちらりとあらわれる。
それはとても小さいのかもしれないけど。
誰かが見たら普通で当たり前のことかもしれないけど。
私には特別なことに感じる。
この前は寝たきりの方に「花を見に行きたい」と言われた。
花くらい....とお思いであろうが、この方の「花を見に行きたい」は数々の乗り越えなければならない試練みたいなものがある。
お互いに夢を語れる仲間と言うのは、とてもありがたい事なんだ....とあらためて気づく。
話は変わるが、私は妄想の夢は見るけど、睡眠中の夢はめったに見ない。
日々是爆睡。
気づくと寝落ちしてる。
というか、寝落ちしてるので寝ていたことに気づくのはたいてい朝だ。
特にまずいのは、うちにある無印良品のソファ。
あいつはいけない。
![](https://assets.st-note.com/img/1662014239586-J0HFvwv6Su.jpg)
そこに座っていると、たちまち夢の中へいざなわれてしまう。
夢の中へ
夢の中へ
行ってみたいとおもいませんか〜
うふっふ〜
(MVが新しくなっていてびっくりしちゃった)
行ってみたい。
夢の中へ行ってみたいが行けないんだ。
もしかして、夢を見ているのかもしれないけど、全く覚えていない。
すぐ朝になっている。
私から消えている夜と朝のはざま。
気分はまるでイリュージョン。私は手品師。
また話は変わるが
睡眠といえば
以前、私がまだ学生の頃。実習で訪れた先はがん専門の病院。その中で忘れられない患者さんがいた。
「眠れない」
その方の主訴は「睡眠の確保」
ベッド上では体の痛みが強くて、夜は眠れず長い時間を過ごしている。眠剤も痛み止めもあまり効かないとの事だった。
さてどうしよう。
私の先生が考えたのは、リハ中に安楽な姿勢を取ってもらって少しでも眠れる時間を作ること。
ティルトテーブルという大きな台に乗ってもらって、角度をつけて、クッションなどで姿勢を調節し、いい状態になったら、訓練室のあかりを消して寝てもらう。
シーンと静まり返る。訓練室。
患者さんの寝息が聞こえてきたら成功だ。
すー、すー....と静かな寝息が聞こえてくる。
私は「なんだこの世界」と思った。
リハビリテーションっておもしろい、と思った。
今もそれは変わらない。
私が自分の仕事で目指しているのは、ご本人が気づかないうちに自分の力で変わっていることだ。
言ってみればアハ体験のような。
写真が変わってるのに気づかない....あれ?でも変わってた!とある日気がついたりする。
ざっくりとしているが「自分の力で」というのがポイントだ。
人にやらされる訳ではない、もっと能動的な体験。
自然と体がそこに向かっていくような....なおかつそれで楽しく過ごせればなお良い、と思う。
やはり、私は手品師になりたいのかもしれない。
夢を見ない私は以前こんな記事を書いた。
眠りにつく時に「落ちる」ような感覚があるのはなぜだろう?
意識のはざまで感じるのは「幸福」な気持ちと、「こわい」という気持ち。
落ちる感覚。
世界が暗転する。
永眠ということばもある。
永く眠っているだけなら幸せなのかもしれない。
眠りとは生と死のあわいをいきること、現代が二つに分けてしまった世界がつながっていることを知らしめる営みなのかもしれない。
眠りとは、あわいをいきること。
どこか遠いあの場所と
どこかなつかしいあの場所へ
眠っている時は近づいているのかもしれない。
私がかつてこの世界にはじめて生を受けたのは、この世に生きて、他の世界では手に入れることのできぬ諸性質を身につける必要なあったからであった。私はこれからもこの世界との結びつきを保ち続けねばならない。そしてこの世の現実の中で獲得できるすべてのものを、自分の中に取り入れなければならない。そうすることによってのみ、いつか私も他の世界のための有用な一員になれるであろう。
この世界を生ききる。
己の夢を持ちながら、味わい尽くすことで、次の世界へ旅立っていける。
悲しみもやさしさも痛みも慈しみも喜びも、今この自分でしか体験できないなら
私はいつまで経っても夢見る少女でいつづけたい。
この世から離れる時まで
それは可能なんじゃないかと
今の私は
また夢でもなんでもいいから
描き続けていきたい
そう、願っているのだ。
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