くま読書 丹野智文 笑顔で生きる
私は当事者の本を読むが好きだ。
なぜなら、今のところわたしは比較的健康で、当事者の気持ちが全くわかっていないからだ。
わからないからこそ、知りたい。1つ1つは単なる1事例であると思うが、積み重ねていくと見えてくるものもある。人生の物語に寄り添う時に、物語性があるものをたくさん自分の中に備えておくと良い気がする。
認知症の当事者の本の中で、この方はかなり若い人の部類に入ると思う。
1974年、宮城県生まれ。自動車販売会社で働いていた39歳のとき、若年性認知症と診断された。衝撃や不安に苦しんだが、生き生きと笑顔で暮らす認知症の「先輩」たちと知り合い、希望を取り戻す。地元で「おれんじドア ご本人のためのもの忘れ総合相談窓口」を立ち上げる一方、「日本認知症本人ワーキンググループ」などにも参加。認知症の人たちの笑顔を増やすために国内外を飛び回る。著書『丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-』発売中。
39歳。私と同い年。
前半は病気が少しずつわかっていく様子が描かれている。とても身につまされる。仕事や家庭での変化。すぐ忘れてしまう記憶への戸惑い。
その中で前向きになれた要因を挙げている。
1つめは仕事に戻る事ができたこと。2つめは地元で支えてくれる人がたくさんできたこと。3つめは全国の当事者と出会ったこと。
「役割とつながり」は認知症の方へのアプローチでいつも心がけていることだ。丹野さんの本を読んで、年齢に関係なくこの2つは大事であることを実感した。
そして、<第6章 発信することの大切さ>で私の中にも偏見があるという項目がある。
多くの当事者が、認知症と診断されたあと、死んでしまったほうがいいと思うのは、アルツハイマーに対するイメージがものすごく悪いからだといえます。実際、将来なりたくない病気の上位には必ず認知症が入っています。実際、私も診断される前まで、アルツハイマーになったら徘徊して何もわからなくなり、暴れだすというイメージしかありませんでした。
現実はそうではなく、これはかなり進行した人の特殊な場合であって、実際は進行がとても遅く、現状のまま何年も過ごしている方も多いのです。
一般的なイメージは丹野さんが書かれているとおりであると思う。そして世間での取り上げられ方についても言及している。
でも、一般的にメディアが取り上げる認知症と言えば「予防策」ばかりで、間違った映像もいっぱい流されています。
メディアは視聴者が見たいものを見せているものも多い。正しい正しくないではなく、視聴率がとれるセンセーショナルな内容の方が、残念ながらある一定の層には受けるのかもしれない。(もちろん良質な内容のものもたくさんあるが、視聴者はその区別がつかない人もいる)
以前、自分の法人グループの勉強会で「認知症」について話し合う機会があった。参加者は100人位であったと思う。行政の人も参加していた。
その中で認知症に詳しいという医師が、みんなの前で発表した。その内容は「予防策」についてが主軸となっていた。「医療職が関わる事で認知症を予防できる」「この食べ物を食べれば認知症にならない」「毎日日記をつければ記憶力が低下しない」「運動をして認知症を改善する」等々。
最後にその医師は言った。「認知症にならないように私たちで関わっていこう」
医師でさえ、この調子である。
予防は大事であると思う。認知症にはならない方がいい。しかし、なってしまう人はなる。2018年の時点で高齢者の約7人に1人は認知症である。2025年には高齢者の5人に1人が認知症になると予測されている。
家族が世間が認知症にならないように、予防と称して、高齢者に様々な負担をかけているのをよく目にする。
たとえば、こんな当事者がいました。前日にあった出来事を、午前中めいっぱい使って日記に書くそうです。家族が進行を遅らせるためにやらせているそうですが、私はこう言いました。
「そんな辛いことはやめようよ。昨日、何を食べたかなんて、どうでもいいことじゃないですか。それよりも、これからどんな楽しいことがあるかなって考える方が絶対いいよ。」するとその方は「気が楽になった」と言いました。
リハビリテーションでも「脳トレ」をしてほしいと、ケアマネージャーや家族からよくご依頼を頂く。
私はそういう時は一応、体裁的にちょこっとだけ脳トレのプリントをして頂き(むしろしてなくても全然気にしない)、あとの時間はその方が本当にしたかったことを探したり、得意なことで役割をもてるようなことを見つけたり、好きな人と上手くつながる方法を考えたりする。
その人がどうしても脳トレが好きで好きでやりたいならやると思う。
丹野さんは「そんな無駄な事をするよりも、私は毎日笑って過ごしたい」と話している。
当事者が言っている事は何よりもパワーがある。
背中を押されるような本に出会えて、私は今日も当事者に頑張る力をもらっている。