友人に、本を贈ってほしいとお願いしてみた
人から本をプレゼントされてみたい欲をずっと心に秘めてきた。
だが、わたしの周りにはエスパーはいないようで、今日の今日まで誰からも本をプレゼントされたことがなかった。
図書カードをいただいたことは何度かある。
でも図書カードは、本を選ぶのは最終的に自分であるので、わたしがされてみたい本のプレゼントとはまた違う。
表紙がすてきで、とか、読んだことがあって、とか、その人の感性で、「これ良さそう。」とか、「これ読んでみてほしい」と思ったものをプレゼントされてみたい。
言葉にするととても贅沢すぎるし、頼まれたら若干面倒なお願いであるので、
今までそれを口にしたことはなかった。
一ヶ月前。
ピコン、と通知音が鳴りスマホに手を伸ばすと
「もうすぐ誕生日だよね。何か欲しいものとかテーマとかある?」
と幼馴染からのメッセージ。
欲しいもの。真っ先に頭の中に思い浮かんだのは、「本」の2文字。
きっとこの子であれば、本に抵抗がないだろうし(最近、本屋に入ったことがほとんどない、という人もよく見かける)、
少々面倒くさいお願いもしやすい仲であるし、
しかも欲しいものを聞いてくれているという絶好の機会。
思い切って、
「ちょっと面倒なお願いなのだけど〜」と断った上で、
長年の、本をプレゼントしてもらいたい欲について伝えてみた。
すると、あっさり、
「いいよ〜!なんか楽しそう!」とすぐに返信が来る。
もっと怪訝な反応をされると思っていたため、すこし拍子抜けしてしまった。
わたしは本をプレゼントされたこともないが、
プレゼントしたこともない。
贈るものが本となると、どうしてもメッセージ性が強く出てしまう気がしていて、
なんだか人にプレゼントしづらい。
本好きな人であっても好みがあるだろうし、「読んでね」という無言の圧までセットでプレゼントしてしまうのではないかと思うと尚、贈りづらい。
本は自分で選ぶもの。自分のために買うもの。
わたしの中のその常識がもうすぐ壊されようとしていることに、心が舞い上がる。
「目に入れきれないほどたくさんの本が並ぶ本屋さんの中から、どんな本を贈ってもらえるんだろう。」
そんな気持ちで一ヶ月わくわくして過ごした。
「はい、誕生日プレゼント!」
本日17時ころ、ずっと楽しみにしていた贈り物をいただいた。
紙袋の中には、本が2冊におしゃれな紅茶。
本は、英字のおしゃれな新聞紙で丁寧にラッピングされていて、いちごミルクの柄のかわいいマスキングテープでとめられている。
「インターネットで見て、自分でラッピングしてみたんだ〜結構難しかった!」
にこにこしながら話す幼馴染に、なんだか心がいっぱいになってしまう。
あまりにも綺麗なラッピングだったから、きっとお店でラッピングをしてもらったのだろうな、と思ったのに、
やり方まで調べてラッピングまでしてくれたことに感激してしまう。
スマホを前に、ラッピングと格闘している幼馴染を思い浮かべるとなんだか微笑ましい。
「このラッピング、きれいすぎて開けるのもったいないよ〜!」
「えー、でも読んでよ!」
と笑い合いながら、
そーっと、そぉ〜っと、マスキングテープを剥がしてラッピングを外していく。
「あ!これ!読んでみたいと思ってた本だったの!結局買ってなかったけど、めちゃくちゃ気になってたやつ!」
知ってるタイトルの本。気になってたあの本。
あんなに膨大な量の本がある中で、ぴたりと私が読みたかった本と幼馴染が贈ってくれた本が一致していることに、いちいち、ちゃんと、感動する。
もう一冊はなんとなく本屋で見かけたことはあったけれど、素通りしていた本だった。
カラフルなサンリオのイラストとともに、哲学者の名言がわかりやすく記載されている。
色んな哲学者シリーズがあるようなのだけど、
私が贈ってもらった本は、いつだったか読もうと思って挫折した哲学者シリーズだった。
あの原訳のような文章で挫折したわたしでも、一瞬で理解できるくらいに噛み砕かれて書かれていて、
あぁいつか挫折したあの本はこんなことを言っていたのか、と長年の謎が解けたようでもあった。
家に帰ってからもほくほくな気分で、
今日のお礼をしていなかったことに気づき、
メッセージアプリを開く。
今日のお礼とプレゼントのお礼を伝えると、
「わたしも本を贈られてみたくなっちゃった」との返信が。
本を贈られるだけでなく、贈ってもいいの…?
今まで、やってみたいけれど、プレゼントされた相手の負担を思ってできなかったことが、
なんだか実現してしまいそうだ。
本好き同士であれば、本の贈り合いは絶対に楽しいと思う。
もっと本を贈り合う文化が広がったらすてきだなと思いながら、一日を終えた。