どこまでが体罰??
体罰とは
例えば、自分の思い通りにならない時に子どもを殴ったり、自分勝手な行動を取った時に叩いたりなど。
仮に「教育だ。」「躾だ。」という理由だとしても、あってはならないことです。
今回はその中でも、どこまでが体罰か分からない、見えない体罰についてお話しようと思います。
体験談
一般的に「よい」とされる教育として、挙げられるのは、罰として清掃活動をさせることです。
これは実際に自分が見たことがある体罰です。
部活動の練習が土日にありました。
しかし、部活動に関係するイベントが午後にあり、部員の半数以上が事前に連絡もせず、当日顧問に連絡し行ってしまいました。
一日練習だったこともあり、お弁当を作ってくれた親に失礼・事前に連絡しないのは不適切という理由で大激怒。
そこで顧問がイベントに行ってしまった部員たちに課したのが、清掃活動でした。
これで罰としておかしいと感じたのは、半日も清掃活動を行わさせたことです。
もちろん、部員が連絡もせずに実質的には部活をサボる形になったのは悪いことです。
おそらく子どもたちに反省をさせることが目的であったと思いますが、そこで半日も清掃活動するのは罰として見合わないと思います。
清掃活動として具体的に行ったのは、学校の廊下の黒ズミをスポンジでひたすらこすることでした。
それを半日も続けるには、相当な体力が必要です。
また、行かなかった部員はいつも通り練習していたため、その人たちから見られているという気持ちにさせたのも精神的苦痛を与えていると言えます。
僕が見た清掃活動では、長時間行うことで肉体的に疲労・苦痛を与えるという目的とは違うことをしています。
そして、結果的に清掃活動をさせられた部員たちはその日、部活動には参加させてもらえずに終わりました。
無理やり食べさせる
また、給食を全部食べさせようとさせるのも体罰に近いことだと思います。
よく学校では、食べ残しを減らそうと配膳されたものを戻したり、食べられないものを残したりするのを禁止する教師がいます。
皆さんも体験したことありませんか?
子どもの健康状態を保つことも、食べものを粗末にしないと学ばせうことも大切です。
しかし、人によって食べられる量は違うし、当然好き嫌いがある人もいます。
その日にどれだけエネルギーを使ったか、体調は優れているかなどで食べられる量は変わります。
それなのに「配膳された分は全部食べよう!」と目標として掲げて子どもを鼓舞し強制的に食べさせるのは、肉体的に苦痛を与えているのと同じだと思います。
また、僕もそうですが、食物アレルギーを持つ人もいます。
ものによっては、それを食べることによって命を落としてしまう可能性がある人もいます。
もしものことがあったら、「健康のために…」「食べ残しを減らすために…」という理由など通りません。
教師にとっては、子どもの健康や学びのためだと思っていても、それが子どもにとって何かしらの形で苦痛を与えてしまっているのならば、それはすでに体罰になってしまいます。
今回は教師を中心に考えてみました。
でも、体罰は家庭内でも考えられます。
「これくらいなら大丈夫」
「これは体罰じゃなくて躾」
「これは体罰じゃないでしょ」
そう思っていることこそ、一番危ないかもしれません。