KentaShimada

写真/映像、絵、デザインなんかをしています。

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最近の記事

弁財天に思いを馳せてみる

生島神社の春祭りで年に一度の弁財天のご開帳に先日伺った。 生島弁財天社に祀られているのは中央が弁財天、右が地蔵菩薩、左が毘沙門天である。 特に真ん中に祀られいる弁財天は1100年ほど前のものである。色に関しては何度か修繕されているので、大変綺麗な状態であるが、1100年というなかなか想像し難いほど前からご鎮座されている貴重な立像である。 春のおまつりの日に合わせてご開帳が行われ、まつりは秋にかけてのこれからの豊作を願うものであった。 生島神社の弁財天は琵琶湖の中に浮か

    • 強く想うということが全てな気がする

      生島神社で2回目の撮影を行いました。 前回の投稿では、人類が自然に畏敬の念を感じたものが形となったものとしての神社、について話しました。 その後、ある動画を見て似ている話を聞いたのです。写真家であり現代アーティストの杉本博司氏が京セラ美術館開館記念の展示について対談をしている動画でした。 京都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司 瑠璃の浄土」関連プログラム対談 浅田彰×杉本博司 https://www.youtube.com/watch?v=85fqfPQir0g&t=30

      • 約80年という長い人生を歩み続けられるのだろうか

        最近、自分はこの長い人生を生きれるのだろうかと思うことがある。 様々な制限により、人と会いづらく遠くへ行きづらい。 昔から“何か”に縛り付けられることが自分は大嫌いだ。学校にいると収容所に入れられている気分だし、大学に行き始めて学校というものに自由を感じた。聞いた話では、実際に校舎というのは入り口が監視されていたり、壁で囲われていたりと、刑務所や収容所の造りと似ている点が多いという。嶋田少年が学校を収容所と感じ、また外で自転車に乗る主婦などを見かけるとそこに自由を感じ羨ん

        • 日本人が見出した神、について

          生島神社(兵庫県尼崎市)宮司上村氏を撮影させていただきました。 撮影の前後にはお話をさせていただきましたが、非常に気さくに神道のことや仏教との関係、神社の興りを教えてくださりました。 まず、神道というのは仏教やキリスト教、イスラム教と異なり、日本で興ったものであるということです。仏教も今となっては深く私たちの生活の中に浸透していますが、神道の歴史はそれをはるかに超え約2600年、日本人が“神様”の存在を意識し始めたことはもっともっと前からだったでしょう。 天変地異、つま

          正月気分、はもうやめた。

          つい先日の年末年始は、年末年始“感”がなかった。 もしかしたら、そういう“感”を出さないように、感じないようにしていたのかもしれない。 人は何かをきっかけに心を新たにしたり、悔い改めたり、そんな「節目、変わり目」が好きな気がする。大晦日になると年越し蕎麦を食べその後の長寿を願ったり、元旦になれば初詣に行き健康や活躍を祈願する。テレビも年末年始は3時間4時間の特番を毎日のように流し、年末年始“感”を出している。 でもだ、このような節目は必要ではないんじゃないかとも思う。元旦

          正月気分、はもうやめた。

          幻影は美しいが、ドラッグ。我々には塩が必要だ。

          前の話で、『もし、写真を使うなら”明らかなる偽”としての像を生み出すことに利用する他ないのだろう。』、『本当に「在る」というものさえ脳が見せている幻影なのかもしれない。』という話を書いた。 「在る」ものでさえ幻影、ということを今ここで結論づけることは控えておこうと思うが、 少なくとも写真というものに関しては幻影であると言い切っておきたい。 現実は生き辛い。本当に苦しい。何もしないと心が狭くなり、真っ暗になりそうで怖くなる。 だが、私たちは幸い自分たちの力で自分たちに幻影を

          幻影は美しいが、ドラッグ。我々には塩が必要だ。

          「在る」ということが大事、という話。

          最近、彼女がある国に引っ越しをした。いま僕と彼女は別々の国にいる。 そんな状況が続く中で、少しずつ「在る」ということについて考えるようになった。 僕は9年ほど写真を撮っている。小学生くらいにフィルムカメラを使ったこともあったが、ほぼそんなことは覚えてない。 9年前僕が写真を始めようと思い、はじめに買ってもらったカメラはEOS kissのデジタル一眼レフだった。 それからというもの、写真=デジタルの写真であった。 先日、友人がカメラの話をしていた。そこで、「日常を切り

          「在る」ということが大事、という話。

          松岡正剛氏 千夜千冊

          本の紹介だけにとどまらない、松岡氏の「千夜千冊」。 知の巨人といわれているだけあって、一冊の話がとても厚く、深い。 読んでいてわくわくしました。 https://1000ya.isis.ne.jp/souran/index.php?vol=102

          松岡正剛氏 千夜千冊

          “美しい写真”は、現実世界をつまらなくする

          “美しい写真”は見た人を感心させたり、まるでそこにいるかのような感覚に陥らせることができる。繊細な描写や現実よりも明るく彩られた写真は非常に目を惹く。そして、人によってはそこに行って同じような写真を撮りたい、と感じさせる。 僕に言わせれば、そんな“美しい写真”なんて「クソくらえ」だ。写真の高画質化、レンズ性能の向上、編集ソフトの発達など、機材や付属するソフトウェアの性能向上は顕著で大概のフォトグラファーはその蟻地獄ともいえる世界に自ら進んで飛び込むことを厭わない。 「写真家」

          “美しい写真”は、現実世界をつまらなくする

          写真家の使命はvisualを用いたpass on

          自分の好きな映画に「Lucy」というものがある。 スカーレット・ヨハンソン演じる主人公の女性とモーガン・フリーマン演じる人類学者の男性の、人類の可能性と本質に問を投げかける内容。主人公のルーシーは訳あってコリアンマフィアに捕らえられ、眠らされている間に腹部に合成麻薬のパッケージを入れられてしまい、不本意ながら運び屋となってしまう。そして、彼女は他の場所に移送され、そこのマフィアに引き渡される。そこでアフィアを挑発した際に、腹部に蹴りを入れられてしまう。その影響で腹部に埋め込ま

          写真家の使命はvisualを用いたpass on

          師匠との一日

          師匠と仕事をした。 師匠と飯を食った。 師匠と口論をした。 師匠の言葉で諭された。

          師匠との一日

          アンチズムとノスタルジー

          先日、写真のコンテストに5枚のテーマの異なる写真を出した。 その中で自分自身が訴えようとしていること、好きなことは何なのか、ということを考えるようになった。考える上で、いま自分がしていることについて少し振り返ってみようと思う。 まず、思想や政治などを学者やその他の著名人などが対談している動画などにも目を通すようになった。具体的に言えば、民主主義とは何なのか、政治にはどういった役割があるのか、その上で私たちはどういうことに取り組まねばならないのかということについて動画を漁って

          アンチズムとノスタルジー