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“美しい写真”は、現実世界をつまらなくする

“美しい写真”は見た人を感心させたり、まるでそこにいるかのような感覚に陥らせることができる。繊細な描写や現実よりも明るく彩られた写真は非常に目を惹く。そして、人によってはそこに行って同じような写真を撮りたい、と感じさせる。
僕に言わせれば、そんな“美しい写真”なんて「クソくらえ」だ。写真の高画質化、レンズ性能の向上、編集ソフトの発達など、機材や付属するソフトウェアの性能向上は顕著で大概のフォトグラファーはその蟻地獄ともいえる世界に自ら進んで飛び込むことを厭わない。
「写真家」と呼ばれる方々はそうでもないかもしれないが、インスタグラムなどSNSに溢れかえっている写真たちは、まるで地獄絵図である。写真として薄っぺらいだけでなく、インスタントな欲求にすぐ屈してしまう現代人の胃袋ならぬ眼球をにぎっては離さず、じわじわと毒していく。
ある者は写っている場所に行った気になり、写っているものを体験した気になり、ある者はそこに行きただ同じものを撮りたいというさもしい欲求に駆られる。
写真をしているものとして論が通っていないかもしれないが、写真はただの紙ペラ、もしくはビットの集積であり、写ったものそのものではない。そこに質量感は存在しない。
景色の写真を見て綺麗と思うのは自由だが、実際に行ってもないのに行った気になるべきではないし、行ったとしても同じような写真だけ撮って満足するのも甚だ奇妙な話である。
実際に見たり、触ったり、その場の空気を感じる(第六感的感受)をすることこそが貴重な体験のような気がする。

人によっては、恋愛に“コスパ”という考えを持ち込むらしいが、それも上記のことはさほど変わりない。実際に体験、経験すれば良いこともそうでないこともあるのが普通。我々の心がインスタのように煌めき輝く“美しい写真”のような世界に居続けていては、この現実世界はさぞつまらないだろう。
現実世界をつまるものと感じる感性は地獄絵図の如き“インスタの美しい写真たち”と別れを告げることにあるのかも知れない。

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