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日本人が見出した神、について

生島神社(兵庫県尼崎市)宮司上村氏を撮影させていただきました。

撮影の前後にはお話をさせていただきましたが、非常に気さくに神道のことや仏教との関係、神社の興りを教えてくださりました。

まず、神道というのは仏教やキリスト教、イスラム教と異なり、日本で興ったものであるということです。仏教も今となっては深く私たちの生活の中に浸透していますが、神道の歴史はそれをはるかに超え約2600年、日本人が“神様”の存在を意識し始めたことはもっともっと前からだったでしょう。

天変地異、つまり地震や台風、水害などに畏れ(おそれ)という感情、意識をもち、そこに神様の存在を見出したそうです。祝詞(のりと)に「畏み(かしこみ)畏みもまおす」という言葉が入っているのも、畏敬の念を持ち申し上げるということであると教えていただきました。

前述しました3大宗教は「救い/救済」という言葉がキーワードとして出てきたりしますが、神道には何かから「救う」という約束も無ければ、この通り努力すれば救われるという教科書(聖書やコーラン、経典など)もない。

なので厄祓いにおいても、受けられる方が“覚悟”をもつ、つまり自分の体調をより気にかけたり、悪くならないような努力をするということが大事で、それがあった上での“神頼み”というのがお祓いであったり、宮司がされていることだ、と教えていただきました。

現代において、高学歴であれば大企業に行ける、大企業に行けば儲かる、儲かれば将来も安定、安定こそが正義、というような考え方もまだまだ多いが、これは全てこうすればこうなるという「条件プログラム」的思考だと思います。でも、我々の中には大学に行かなくても裕福な暮らしをしている人もいるだろうし、裕福だが若くして大病を患う人もいる。昔であれば大病を患ったことで、逆に戦争に行かずに済んだ人もいたでしょう。

神道の考えが今の私たちに教えてくれているのは、日々を大切に生きること、そして自然など我々がどうしようもできないことをコントロールしようとするのではなく、そこに畏怖の念を持ち共生していくということの大切さであると思いました。

素晴らしいご縁をいただきありがとうございます。

(なお、上記は宮司の言葉をもとに書かせていただいておりますが、正確性を欠く表現があるかも知れません。あくまで私の記録と記憶を頼りに書き、感想を付け足させていただいたことをご了承ください。)

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