弁財天に思いを馳せてみる

生島神社の春祭りで年に一度の弁財天のご開帳に先日伺った。

生島弁財天社に祀られているのは中央が弁財天、右が地蔵菩薩、左が毘沙門天である。

特に真ん中に祀られいる弁財天は1100年ほど前のものである。色に関しては何度か修繕されているので、大変綺麗な状態であるが、1100年というなかなか想像し難いほど前からご鎮座されている貴重な立像である。

春のおまつりの日に合わせてご開帳が行われ、まつりは秋にかけてのこれからの豊作を願うものであった。

生島神社の弁財天は琵琶湖の中に浮かぶ島、竹生(ちくぶ)島より流され、行き着いたところが生島神社であった。889年より1100年以上その地にご鎮座されているとのこと。

弁財天というのは元来ヒンドゥー教の女神であったが、仏教では天部(天の位)として取り入れられた。そして神仏習合と共に、神社でも祀られるようになったといわれている。毘沙門天も天部に属し、地蔵菩薩は菩薩に属している。

私がお手伝いさせていただいているお寺の宗派、真言宗では胎蔵界曼荼羅で表現されているが、大日如来が中心におり、その周りを菩薩、明王、天部が囲っているという具合である。よく左記の位については“ランク”という言い方をされているが、先日知人の僧から少し違うお話を聞いたのでここに記しておきたい。

それぞれの菩薩、明王、天部というのは大日如来の様々な性格や呼び名、顔と理解すれば良いというのが彼の言わんとするところであった。

例えば地蔵菩薩であれば、大日如来の持つ救済の性格、顔を具体化した姿で、本来とても上におられる方だが六道(りくどう | 死後の世界で六つに分かれてると言われている。下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つをあわせて六道という)でいうところの地獄まで、すべての世界に救いを施す。これは地蔵菩薩が、如来の救済の性格を表現しており、その根本には常に如来がいるということになる。つまり、菩薩や明王、天部はランク分けされているとかどうこうでなく、その性格ごとに具現化されたもうであり、根本のところで全て繋がっているということなのだ。

ちなみに、よく見るお地蔵さん(地蔵菩薩)は六体並んでいる場合が多いが、それは六道の六つの世界それぞれに救いにいきますよ、という意味らしい。

今回は神社の話なので、話を弁財天に戻すが、弁財天はヒンドゥー教で水辺の神様であり、川のせせらぎが音楽を連想させることから音楽や才能を司る女神といわれており、弁“才”天(生島神社やその他よく見るのは弁財天であろう)と表記もする。また、この部分は確かか不明だが、風水など中国の思想では水は「財、お金」を意味し、山や丘から水が流れるという立地はとても好まれる。おそらくだがそういった思想もあり、水辺、川の神ということで才を財と読むことも増えたのではと想像する。
また財と言っても昔の「資産」は米であり農地であることから豊作や、福徳円満であり安産の神や子の守護神とも生島神社では伝えられているとのこと。

年に一度の貴重なご開帳に立ち会え、また撮影ができたことに感謝いたします。

生島神社
〒661-0013
兵庫県尼崎市栗山町2-24-33

追記:
弁才天が弁財天となった理由は、どうやら日本で財の神様として信仰されていた宇賀神(うがじん。翁や女性の頭に、蛇の胴体をもつ。)と習合し、宇賀弁財天や弁財天となったようだ。
なお、竹生島神社の弁財天も宇賀弁財天である。
また本投稿にある写真の弁財天のように、八つの武器を持った像は、仏教を守る戦闘神として八臂(はっぴ)弁財天と呼ばれている。(臂とは、ひじ(肘)のことである。) 

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