写真出典:AlainAudet @pixabay
自然の中の人間、そして、その人間が作る社会。その関わり合いを、エドワー・S・リード『アフォーダンスの心理学』を手がかりに考えていくシリーズ。第1回は、西洋的な思考に特徴的な「二元論」と心理学の関係について見ていきます。
1.はじめに
この10年ほど、自然と人の関わり、人と社会の関わりについてじっくり考えたいと、ずっと思ってきました。
昨年までは、企業人向けの研修ビジネスに従事していたことから関心の中心は「人と組織」にあり、それが共同運営マガジン『人と組織を考える』に投稿した一連の記事につながっています。
研修ビジネスからリタイアして1年がたった今、いよいよ本格的に自然・人・社会の全体にわたって考えを深め、整理したいと思うようになりました。とはいえ、対象範囲は広大です。私独りでは、どういう道筋で探りを入れていけばよいのか、迷ってしまいます。
そこで、以前から愛読していたエドワード・S・リードの『アフォーダンスの心理学』を相棒に探検の旅に出ることにしました。
相棒と言いましたが、この本は、非常に広範な内容を深く掘り下げたもので、本来は師匠・先生として仰ぐべき相手です。
しかし、そうしてしまうと、この本を読解することに集中しなければならず、私が自由に発想を膨らませることができません。
そこで、敢えて相棒という対等の位置まで下りてきてもらって、その言葉をヒントに、考えを広め、深めていくことにしたのです。
リードは、ジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」の考え方を基礎に科学としての心理学――これを彼は生態心理学と名付けています――を打ち立てようとした研究者です。裏返して言うと、彼は、伝統的な心理学は科学になり切れていないと考えていたのです。
リードは、細田 直哉 訳・佐々木 正人 監修の『アフォーダンスの心理学』向けに「日本語版への序文」を書いています。
3ページの短い序文ですが、ここに、彼が伝統的な心理学が科学になり切れていないと考えた理由が端的に述べられています。また、彼が目指す生態心理学のエッセンスがラフなスケッチの形ですが、説明されています。
そこで、今回は、この序文を取りあげることにします。
2.「二元論」と心理学
「日本語版への序文」の冒頭で、リードは西洋の伝統的思考の特徴は「二元論」であると指摘します。
この部分の原文は非常に錯綜して感じられます。上記は、彼の記述を意味が通るように書き換えたものです。リードの原文は、「2.参考」で紹介します。「永遠不変の原則」は、「科学の法則」と置き換えて差支えないと思います。
続けて、彼は次のように言います。ここは原文のままです。
さらに、こう続けます。
こちらも原文のままですが、どうもゴチャゴチャしています。蛮勇を奮って、ザックリ言い換えると、
ということです。つまり、人間を自然(身体)と魂(心)に分離する「二元論」のせいで、心理学は科学になり切れなかったと言っているのです。
ところが、過去に、このジレンマから脱するチャンスがあったと彼は言います。
ここから、リードが人間をどのような存在として捉えようとしているかを明確に読み取ることができます。彼は、人間を”自然の一部であり、自然に内在する変化のパターンによって自ら変化する存在”として捉えようとしているのです。
この人間観に基づく生態心理学について、彼は、このように述べています。引用部分と抜粋部分は、原文では順序が逆ですが、以下の順に並べた方が分かりやすいと思います。
以上で、リードが何を否定し、何を構築しようとしていたかが明らかになったと思います。彼は、西洋の伝統である「心身二元論」を打破して、人間を「心身一元的」に特別な種類の動物として研究する心理学を打ち立てようとしたのです。
次回は、リードの本論に入る前に少し寄り道をして、彼の考え方と非常に近いものをもったスピノザの哲学に触れたいと思います。
『アフォーダンスの心理学』にはスピノザに触れた記述はありません。リードは大変な勉強家で博識だったと言われているので、彼がスピノザ哲学を知らなかったとは考えにくいものがあります。知っていて、自分の考えと共通点があるとは思わなかったのでしょう。
ですが、私たちがリードの考え方をヒントにものを考えていく上で、スピノザの哲学には幾何学の照明に用いる補助線のような有効性があると考えるので、次回はスピノザ哲学の紹介にあてます。
次回はこちら:
2.参考
私が改変した部分と、順序を並べ替えた部分について、原文のママを引用しておきます。
2-1.改変した部分の原文
2-2.順序を入れ替えた部分の原文
次回はこちら: