そのカバンの重さは、どれぐらい?
ある話を聞いて
本当だな…と思った話し。
大きなカバンを手に持っている人が
「この中に何が入っているか見えないと思うが、
このカバンの重さはどれぐらいだろう?」
と、人々の前で質問したらしい。
ある人は、1キロくらい?と答え
ある人は、5キロかな、と答え
ある人はダンベルが入ってて20キロとか?と。
皆がそれぞれの重さ予想を答える中で
質問した人はこう言った。
答えは、ゼロだ。
私がこのカバンを持っている限り、
あなたたちには一切の重さは、かからない
あなたたちの重さは、ゼロなんだ。
…騙されたと思った?
けど、身の回りを見てごらん
沢山の人が、いろんな重さのカバンを持ってる
けどあなたはそのカバンの重さを知りもしないし
もちろんその重さを、感じることもない
何を意味するか、わかるだろうか。
周りの人が沢山の労力をかけて、
重さを背負って
自分の日々の生活が成り立っていても
その重さを、一切自分は感じていない
もちろんそれがどれぐらいの重さかも知らない
電気があり、水があり、
安全に歩ける道があり
当然のように自分が生きている周りで
どれぐらいの人が、どんな重さを背負っているか
知りもせず、重さを感じることもない
ところで。
あなたの1番大切な人は
どんな重さのカバンを持ってるだろうか
実は、全く分からないんじゃないだろうか
自分がそのカバンの重さを、感じていないから
今 私が持っている、この現実のカバンのように
見ているだけで自分が感じる重さはゼロだから
大切な人の抱える重さすら、
私たちは、知らないんじゃないか
大切なのはカバンの重さだけではない
もし、あなたには軽く持てる重さだとしても
相手の腕の力は、どれぐらいだろうか
どれぐらい長時間、持っているんだろうか
いくつの種類のカバンを、抱えているんだろうか
気づくことから、感謝は始まる。
と言う話しでした。
本当だな…と思いました。
その重さの想像すら、していないかも知れない
カバンの重さどころか
人がカバンを持っていることにすら
日ごろは目を向けていないのかも知れない
気づいていないのに
感謝は、生まれないよな…と。
ここからは、
私の個人的な考えなのですが。
周囲の人や、
大切な人に対して
目を向けて、想像して、思いやりを持って
ときには気づいて、感謝を持つ姿勢
それはとても大切で。
そして同時に、自分自身に対しても
大切なことだよな、って
自分がどれだけ重いカバンを持っているか
想像ではなく、1番理解してあげられるのは
自分自身だから。
自分をいたわり、認めてあげよう
もし、誰かに理解されなくても
分かってもらえなくても、
それはある意味 仕方ない
だって、自分も人が持ってるカバンの重さなんか
分からないし、想像しかできないから
ときには人がカバンを持ってくれてることすら
気づかなかったり、忘れたりするくらいだ
そう思うことができれば
自分がこんなに重いカバンを持ってるんだから
お前も持て!あなたもやれ!というような
ねじ曲がった感情も、減るのかも知れない
比べることは出来ないから
仮に全く同じこと、同じ重さを持ったとしても
カバンの重さだけじゃなく、
腕の力や、持ってる時間や、数も違うんだって
今、知ったばかりだから
比べられないからこそ。
自分と相手を、いたわること
自分にも、相手にも、気づいてあげること
自分にも相手にも、感謝を持つこと
忘れずに歩いていこうと思います。
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