2021年7月に読んだ本
2021年7月に読んだ本
ちょっと今月は冊数多い。
1 パウリーナ・フローレス『恥さらし』
チリ人女性のデビュー短編集。新宿の紀伊國屋でタイトル買い。
チリの小説ははじめて読んだけど面白かった。どの話でも大体父親が失業している。それか離婚していないか、刑務所で服役中である。え、これどういうことなの?という終わり方をする話も結構あるのだが、それもまたよい。ほとんどの話がチリの首都サンティアゴを舞台としていて、そこは乾いた砂っぽい印象の街だった。実際はどうなのか分からないが。
2 岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』
ルシア・ベルリンやミランダ・ジュライ、ジョージ・ソーンダーズなどを私に教えてくれた翻訳者、岸本佐知子のエッセイ集。西荻窪・今野書店で購入。彼女のエッセイ集の中では一番近刊だと思う。
本書は東京を主とした場所を巡るエッセイなのだが、私は場所を巡るエッセイ、しかも東京に関するものが好きで、又吉直樹の『東京百景』なども好きなのだが、非常によかった。
四年生の春、授業中に息ができなくなって、手を挙げて教室を出た。そのまま走って、カウンセリングルームと書いてあるドアをノックした。私がしどろもどろに将来の不安や、時間が怖いこと、道路が二股になっているとどちらかを選んだことで人生が大きく変わってしまいそうで一歩も進めなくなること、本が怖くて読めないこと、髪の毛が洗えないこと、食べられないこと、眠れないことなどを訴えると、カウンセラーの男の先生は「なあんだそんなことか、あっはっは」と笑い、「これを読むといい」と言って、自分が雑誌に書いた文章のコピーをくれた。”本当はピアニスト志望だったのに親に無理やり英文科に入れられた女子学生が、鬱病になって私のところに来た、「それなら習った英語を活かしてピアニストの伝記を翻訳すればいい」とアドバイスしたらすっかり元気になった”というようなことが書いてあった。そこへは二度と行かなかった。
自分が住んでいた部屋の前に立った。鉄製のドアの灰色の塗装がまだらに剥げ落ちていた。細い覗き窓は、内側からブルーのビニールテープのようなものが貼られていて、ここもどうやら空き家らしかった。三十五歳から五年間、このドアの向こうに住んでいた。その五年のあいだに、心身の調子がどんどん悪くなっていった。突然泣いたり怒ったりした。つねに頭痛と動悸がして、歩くと目眩がした。正体不明の焦燥感にじっとしていられず、立ったり座ったり歩きまわったりした。頭の中に危険な考えが渦巻き、公園のハトの殺害方法を三十通り考えたり、駅前に停めてある自転車をドミノのように蹴倒す衝動に駆られたり、意地の悪い店主のいる書店の棚の『こち亀』の順番をでたらめに並び替える計画を立てたりした。最後のは本当にやった。
ある夜、酔っぱらって帰ってきて、エントランスの前の植え込みにおそらく住民の誰かが植えたのであろう朝顔の、つるが伸びてもう少しでつぼみがつきそうになっていた苗を、かっとなってすべて引っこ抜いた。夜中に目が覚めて、自分のやったことに気づいてぞっとした。降りていって全部植えなおしたが、もう手遅れだった。これが決定打だった。植物が好きで、草花なら雑草でも愛していたはずの自分だった。これ以上この町にいたら本当にまずいと思った。ここでなければどこでもいい。すぐにべつの町に引っ越した。
思った以上に暗い。気が狂って朝顔引っこ抜く話なんて笑うでしょ。何回読んでもめちゃめちゃ面白い。「これ以上この町にいたら本当にまずいと思った」町は初台らしいのだが、これは何か納得できる。甲州街道のあの辺りは私も磁場が悪いと思う。
暗いけど笑えるエッセイ、ほんと好きすぎる。私も東京の場所に関するエッセイの連載、勝手に始めようかな。
あと岸本さんは六年半サントリーで会社員をやってから翻訳者になった。私のように会社員生活が上手くいっていない人も読んだらいいかもしれない。
3 岸本佐知子『ねにもつタイプ』
先のエッセイで面白いことが分かったので他のものも読んでみようと思い、今度は新宿の紀伊國屋まで赴き買い込んだ。
しかし一番面白いのは一番近刊の『死ぬまでに行きたい海』だった。何度か同じ話も綴られているが、一番面白くかけいているのも同著。話せば話すほど話として完成していく持ちネタみたいなものか。
『ねにもつタイプ』は空想の話が多い。だからタイトルに反し、そんなに暗くない。こっちの方が好きな人もいるだろう。
4 岸本佐知子『なんらかの事情』
『ねにもつタイプ』の続刊。
5 ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』
『12月の10日』が面白かったので。吉祥寺の古書防波堤で購入。ここの古書店は本当に私好みの品ぞろえ。本当に素晴らしい。
ビビっちゃうくらい分厚いのだが、改行が非常に多いので見た目ほど長くない。引用によって話が進んでいくのだが、実際の文献と空想上の文献の引用が入り交じっている。見たことのない形式の本。ジョージ・ソーンダーズはダメなんだけど愛すべきキャラクターを生み出すのが非常に長けている。私は短編の方が好きだけど悪くなかった。
6 大島清『脳が快楽するとき』
自分の「脳イキ」という現象についてもう少し確かなことが知りたいので何か参考になったりしないかなと思ってAmazonで買った。たしか先月読んだ『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』を買ったときにサジェストされたのだ。
脳科学者の一般書を読むたび思うが、今の基準でもコンプラに引っかかるようなことは書かれていないように思う。差別的な言説の根拠が科学にあるかのように話す奴ってよく見るけど、あれ本当にどうにかならないんだろうか。
7 岸本佐知子『ひみつのしつもん』
『なんらかの事情』の続刊。「ぬの力」というタイトルの「ぬには呪術的な力があると思う」という話が収録されており、大学時代授業中にひらがなの「ぬ」が書けなくなっていた教授がいたことを思い出した。教授は「初恋の人の名前に入っていたのに」と言っていた。たぶん「きぬこ」とか「きぬえ」じゃないかと思う。おやすみプンプンに出てくる教祖みたいな風貌で、教員一覧に文学部の全教授の中で一人だけ写真を入れる箇所に似顔絵を載せていた。娘さんが描いたものらしい。娘いたんだ…と驚愕したものである。非常に謎が多い。常時ちょっと浮いている。その教授のことを書き出すとキリがないのだが、私が今まで会ったことのある人間で一番変な人だった。
8 和山やま『カラオケ行こ!』
新宿の紀伊國屋で購入。和山やま、面白いよね。置いてあるコーナー名がKADOKAWAではなくenterbrainだったので見つけるのにすごい時間がかかってしまった。何なのenterbrainって。
主人公の男の子、ほんと和山さんこういう顔好きよねという顔。『女の園の星』の主人公・星もこの顔だし、デビュー作『夢中さ、きみに。』でもこの顔は何度も見た。逆に何か一つでも違いってあるのか? あとで並べて見比べてみよう。
9 大山海『奈良へ』
西荻窪・今野書店で購入。
巻末に町田康の解説がついているので私が書くことは特にない。いやしかしカオス。売れない漫画家がいる奈良と、その漫画家が描く「王道の漫画」(冒険もの)の世界が混じり合う時点でカオスなのに、そこに鹿とか大仏とかせんとくんとか出てきてもう訳がわからん。しかし何か大作を読んだような読後感。何なんだこれは…。
10 川合大祐『リバー・ワールド』
川柳集である。帯に載っている「トマト屋がトマトを売っている 泣けよ」と千葉雅也のコメントで魅かれて買った。紀伊國屋の新宿本店。
遠い言葉と言葉がつながってはいないのだけど関係している感じ。わかるとかわからないとかそういう次元のものでもない気がする。
一番好きだった句↓
仏教が伝わってゆくサイゼリヤ
音2つも足りないけどいいんだね。
11 岸本佐知子編『変愛小説集』
その名の通り、変な恋愛を集めた短編集。Amazonで買った。
私は正常な男と正常な女が正常な段取りで以って行う正常な恋愛より、そこから外れる変愛の方が純愛だと思う。ある種の純粋さは世には受け入れられがたい。一番狂ってると思ったのはA.M.ホームズの「リアル・ドール」。妹のバービー人形と恋愛する男の子の話。暴走する叶わない片思いや世代を超えた呪い、名状しがたい複雑な関係、、私の好きな要素が詰まっていてよかった。
12 千葉雅也『オーバーヒート』
単行本が出るまで待っていたのだ!発売日に新宿・紀伊國屋で購入。
読めば読むほど好きになる千葉雅也。話が直線的ではなく、リゾームのように展開していくのがかっこいい。私もこんな風に書いてみたい。いつもこんなに解像度高くものを見ていたら大変そうだなと思いつつ、自分に近からず遠からずの孤独な生活が髭の剃りたてみたいでちりちりひりひりした。ところどころ自分もリアルタイムで見ていたツイートが出てくるので、全然知らないのにちょっと知っている人の小説を読んでいるかのような気分になったのも面白かった。一緒に収録されている短編も非常にいい。特に最後の文章が美しくてぐっときた。これは引用するのは野暮な気がするので気になる人は自分で読んでみてください。
13 村上春樹『職業としての小説家』
新しく吉祥寺にできた、古書のんきで購入。
私は村上春樹を『海辺のカフカ』しか読んでいないのだが、これは前々から気になっていてやっと手に入れた。基本的なことがていねいに読みやすく書かれているという印象。均して言うと体の健康は大事、毎日続けることが大事、みたいなことが書かれてある。村上春樹ももし『風の歌を聴け』で新人賞を獲ってなかったらあの数々の名作は生まれなかったかもしれないと思うと運命というのはおそろしい。読んでないけど。とにかくもっと健康になりたい、もう少し精神的に落ち着かなければ書けるものも書けないと思った。
14 岸本佐知子編『変愛小説集Ⅱ』
『変愛小説集』の続編。Amazonで購入。
前作にも負けず劣らずパンチの効いたものがたくさんあった。一番グロかったのはジュリア・スラヴィンの「歯好症(デンタフィリア)」。全身に歯がびっしり生えてくる奇病の話である。気に入った作品があってもその作家の他の作品はまだ邦訳では読めなかったりするのが残念。
15 アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』
ネットで書評を読んでから気になっていたので紀伊國屋書店新宿本店で購入。
日本大好きのチェコ人女子大学院生ヤナが主人公。しかし主人公がもう一人いて、同じヤナなのだが日本に旅行に行った際あまりに日本が好きすぎて渋谷から出られなくなった17歳の幽霊のヤナがいる。この二人のヤナの世界が交互に語られ、最後、部分的に重なり展開して終わる。なかなか突飛な設定の話なのだがかなり面白かった。日本好きの外国人が描いた日本というのも新鮮。
16 千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』
また千葉雅也!紀伊國屋新宿店で購入。
アウトライナーの使い方など書かれているのだが、私は機械音痴なところがあるのでそういったものをまったく使ったことがない。いつか長いものを書くことになったらこの本を参考にしながら使ってみようかなと思った。が、当分使わなそう。大体Wordで頭からゴリゴリ気合のみで書いている。私は昔から頭を使わず気合で無理やりやってしまうところがあって、そういうところを見てると自分ってバカなんだなと思う。
書けないという悩みに対しては、雑に言うと「あきらめろ」と書かれてある。あきらめないと何も書けない。
ヒトとしての成熟が、「自分はきっと何者かになれるはず」と無根拠に信じていなければやってられない思春期を抜け出し、「自分は確かに何者にもなれないのだ」という事実を受け入れるところから始まるように、(地に足のついた努力はここから始まる)、書き手として立つことは、「自分はいつかすばらしい何かを書く(書ける)はず」という妄執から覚め、「これはまったく満足のいくものではないが、私は今ここでこの文章を最後まで書くのだ」と引き受けるところから始まる。
これは自分の可能性についての断念ではない。有限の時間と能力しか持たない我々が、誰かに押し付けられたわけではない自分に対する義務を果たそうという決断である。(読書猿)
17 太宰治『人間失格』
高校生のとき読んで以来だったので改めて読んでみた。西荻窪・古書音羽館で購入。
昔読んだときより太宰がわかる。どんどんわかる。怖いくらいわかる。また太宰を読み直していこうと思った。
18 野崎有以『ソ連のおばさん』
『長崎まで』で中也賞を獲った詩人の第二詩集。新宿・紀伊國屋で購入。
前作より自由に書いているなと思ったが、今作の方が難しい。
19 クォン・ヨソン『春の宵』
酒にまつわる短編集。新宿のブックファーストで購入。
酒は人間の危うい生を剝き出しにすることがあると思う。酒を介して人の秘密を知ったり、心の襞に触れたり、酒がきっかけで過ちが起きたり、酒に溺れて自らを破滅に追い込んだり。どの短編もどこか薄暗くてはかなく、かなしい。癒されるわけでもないのに酒を飲まずにはいられない人々の話。
20 ウィリアム・トレヴァー『密会』
荻窪のブックオフで見つけて購入。
イーユン・リーの好きな作家というのは納得。寡黙なおじさんの語り口。余計なことは何も書かれていない。シンプルで深みのある文体。書かれている人や出来事は平凡で、言ってしまえば何てことのない人生の一場面だったりするのだが、そこには確かに力強い文学がある。叔父の書斎(洋室)で過ごす休日の昼下がり、みたいな気分になる。
21 デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』
新宿・ブックファーストで購入。
アメリカ版の中島らも。出てくるのはアル中のヤク中ばっか。短編集なのだが、主人公はたぶん全部同じ人。アメリカの最底辺。元ヤンの昔話を聞いているときなども思うがとても命が軽い。昨日一緒にいた奴が明日普通に死ぬ。そのことにどうもこうもないのである。
人に会わず本ばかり読んでいた。本が読めなくなったらすることがない。「一冊の本は自殺の遅延だ」とシオランが言っていた。本にどうにかギリギリ生かされている。