和製ミュージカル映画の最高傑作『君も出世ができる』を見てみた!
今回は、和製ミュージカル映画の最高傑作とされている作品『君も出世ができる』という映画について書きたいと思います。実はこの映画を私はすでにYouTubeで見たことがあったのですが、どうやら違法アップロードだったみたいでその動画はすでに消されてしまいました。
しかし、あまりに素晴らしい作品だったので、どうしてももう一度見たくてなってヤフオク!に出品されていたのを落札したのです。
最高傑作『君も出世ができる』(1964)とは?
1964年、オリンピックに沸く日本で外国人観光客の獲得に奮闘する東和観光の出世を目指すサラリーマンたち。彼らが社長の愛人と娘との間でドタバタコメディを繰り広げるというストーリー。
主演はコメディアンとしてもジャズ奏者としてもそして俳優としても著名なフランキー堺。作曲は、日本の映画音楽の大物であり『幕末太陽傳』や『黒部の太陽』を手掛けた黛敏郎。作詞は日本を代表する詩人、谷川俊太郎。振付は当時の東宝ミュージカルを数多く手がけ、ドラマティックな振付を得意とした関矢幸雄。
この映画は、東宝が手掛けてきた『嵐を呼ぶ楽団』やクレージー映画、若大将シリーズなどの一連の音楽娯楽映画の総決算として、日本初の本格的ミュージカル大型喜劇として制作されました。そのために監督である須川栄三監督は2週間にわたりブロードウェイに滞在し、本場のミュージカル研究に努めました。
一流のキャストとスタッフを集め、総力を挙げて製作されたこのミュージカル映画は、ほんとうに大変素晴らしいものとなっているものでした。しかし、製作費に見合うヒットを遂げることができず、この路線での映画はこれが最後となってしまいます。これが、私にはなんとも残念に思えてなりません。では、この映画は実際どのようにしてミュージカル映画になりえたのでしょうか?
ミュージカル映画の様式美としてのセット
ミュージカル映画においては、登場人物がいかにも歌を歌い出しそうな、歌い出してもおかしくないような、そんな非日常的な空間をセットや衣装で作り出す必要があります。ハリウッドの古典ミュージカル映画では当たり前に行われるこの演出ですが、和製ミュージカル映画ではなかなかお目にかかれない。ここを『君も出世ができる』はバシっと決めてくれます。
楽曲の工夫
和製ミュージカル映画のひとつの特徴として、古典ミュージカル映画というよりシネ・オペレッタ的な側面が強いというのがあります。つまり、ミュージカル表現(たとえばリプリーズだったり)というのにあまり固執せず、お芝居をそのまま歌にしてつなげました!ような作品が多いのです。
しかし、この作品では必ずしもそうではありません。
というのも、この作品の作曲を手がけた黛さんもまさしく、ただ歌を歌うだけの劇だった東宝ミュージカルに「それは違うんじゃないか?」と思っていました。そうです。本当のミュージカルの魅力は『ウエスト・サイド物語』のトゥナイトのシーンのような重唱こそがミュージカルの魅力だと考えていましたのです。
黛さんは『ウエスト・サイド物語』のような重唱を再現するために、各主要登場人物にテーマソングを作りました。フランキー堺には「君も出世ができる」を、高島忠夫には「タクラマカン」を、雪村いづみには「アメリカでは」を、中尾ミエには「いなかにおいで」というテーマソングを与えたのです。
結果として、彼らは物語の進行に応じて、繰り返しときにアレンジを変えながらテーマソングを歌うことになります。これはほとんどミュージカルでいうところのリプリーズです。
そしてデュエットのときや合唱する際には、それぞれの登場人物がそれぞれのテーマソングを重なり歌いあうことになります。こうして、見事な重唱シーンを再現することに成功したのです。こうした工夫がミュージカルシーンに深みを与えているんですね。
ミュージカル映画のお約束ごとの踏襲
ミュージカル映画には細かいお約束ごとというものが存在します。その一つが「自分の恋心を鏡を見て確認する」というもの。
なんとこのお約束ごとも『君も出世ができる』は踏襲しています。このように、見事なまでに雪村いづみが自分の恋心に気づく瞬間のシーンで、鏡を見つめているのです。そして歌われるナンバーのタイトルが「鏡をみつめるとき」というのもドンピシャです。
さいごに
ほかにもこの作品では、ミュージカル映画的な世界観を構築するための工夫が凝らされています。そのひとつが、登場人物がかなりの頻度で英語を話すということです。(観光会社なので仕事相手の多くが外国人なのです)。登場人物が英語を話すのを見せることで、日本人である登場人物たちがアメリカ風のミュージカルナンバーを披露することへの違和感を減らしているのです。
こうして見ていただけたように、日本のミュージカル映画の最高傑作というのは「登場人物が突然歌い出すことにうまいこと理由づけした作品」では決してなく、ミュージカル映画の持つ様式性と真正面から向き合い、ミュージカル映画の教科書を素直になぞろうとした作品だったのです。このような真正面の映画がこの先出てくることを強く私は期待してます。
(あえて言うなら、劇場公開当時とまったくの同時代である1964年を舞台設定にしたというのは、あまりよくなかったかもしれません。『君も出世ができる』が後世になって再評価されたのは、東京オリンピックがあった1964年という時代が、多くの観客にとって”古き良き時代”になり、そのため一種のフォーク・ミュージカルとして見ることができるようになったからじゃないかとも思います)
先週、GW中に書いた記事が「今日の注目記事」に選ばれたことにより多くの方に読んでいただけて大変嬉しく思っております。