作品と痛み『神に愛されていた』
今回は木爾チレンの『神に愛されていた』を紹介します。
木爾チレンといえば、2021年に『みんな蛍を殺したかった』が大ヒットしました。
この会話の部分が『神に愛されていた』のテーマになっていると思います。この小説がそのようにして書かれたことは言うまでもないでしょう。
若い人気女性小説家の物語でできていて、リアルで赤裸々とも思えるほど痛々しさのある感情描写が続きます。
小説家東山冴理の絶望はこれだけでは終わらないのですが、個人的に胸が「ギュッ」っと苦しくなったところです。美人小説家という輝かしい肩書きが一瞬にして黒歴史という人生の汚点へと転落する感覚とスピード感。ギャップが恐ろしく、目を引きます。リアルなのでこれも作者の実体験なのでは・・・と想像してしまいさらに苦しくなります。
次に、個人的にすてきだなと思ったところ。
本当に本が好きなんだろうな。
展開もうまいのだと思います。私はミステリーに詳しくなくてわからないのですが、読む手を止めさせないでむしろぐいぐい読ませられるのはどういう仕組みなのでしょうか。ボリュームの重たさも感じません。すぐに読み切ってしまいました。そういう物語はどうやってできているのか、不思議です。すごいです。読みやすくて本を読むことに慣れていない人にもおすすめできる作品です。装画・装丁もすてきでした。
「その痛みが、小説になるんや」
この言葉がずっと引っかかっています。創作全般に言えそうだと思うのですが、私の感覚としてはそれを理解できていません。作品にとって作者の痛みって、なんなのでしょうか。これからじっくり考えていきたいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回は草間小鳥子の『あの日、水の森で』を紹介します。
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