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詩との出会い2 「私の胸は小さすぎる」

よく晴れた日、朝5時に起きたときにオレンジ色の日光が部屋に差し込んでくるのが嬉しかった。最近は日が昇るのが早過ぎてすぐに昼間みたいな白っぽい光に変わる。

前回詩との出会いをテーマに「わたしを束ねないで」を紹介した。
この詩は中学校の授業で知り、いつもの授業とは違うことをしているような刺激を受けた。だが、それ以来詩を読もうと思ったわけでもなく高校でも詩を読む授業はなかった(はず、あったとしても記憶に残るほどではなかった)。

本格的に詩に興味を持ち始めるきっかけになったのは大学生になったばかりのとき。大阪に遊びに行った帰り道になんとなく手に取った谷川俊太郎の「私の胸は小さすぎる」(集英社文庫)の表題作、全文紹介する。

私の胸に咲いている一輪のれんげ
それが私の春の思い出
手紙の間にうなずいた春のしるし
今日の私のあこがれのように
私の胸に咲いている一輪のれんげ

私の胸に降り止まぬ深い雪
それが私の冬の思い出
あなたの外套につつまれて歩いた
今日の私のさびしさのように
私の胸に降りやまぬ深い雪

私の胸にさわいでいる大きな楡の木
それが私の秋の思い出
その下であなたは草笛をつくってくれた
今日の私のくるしみのように
私の胸にさわいでいる大きな楡の木

私の胸にひろがる広い海
それが私の夏の思い出
泳ぎながら笑ったあなたの白い歯
今日の私のかなしみのように
私の胸にひろがる広い海

私の胸は小さすぎる
今日の私の愛のように
涙となってあふれるあなたの思い出

「私の胸は小さすぎる」谷川俊太郎(p.120-121)

自分の小さな胸には留めておくことができないほどの思い出が、想いがいっぱいいっぱいになってあふれてしまう感覚にわかるなーと強く共感して、それと同時になぜこのように詩を自分は書かなかったのだろうと思い始めた。

恋愛詩やラブソングでたまにいやな気分になることがあり苦手意識があったのだが、この詩ではそんな感じがしなかった。複雑な気持ちにさせてやろうとか感動させてやろうみたいなわざとらしさがなく、この感情が目に見えるとしたらそれをそのまま写真にしたみたい。だから初めて読んだときは私にもこのような詩が書けるんじゃないかと思い上がった。書けなかった。自分の気持ちをそのまま写真にしているように見えても実際にはそうは書けないのだった。

個人的な感覚だが、事前に情報を得てから購入した本よりもなんとなく手に取ってみた本のほうがあとで自分にとって大きな存在になる傾向があるようだ。

追記
日曜日はお休みします。

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