底辺からの叫び
あれ、この人ってこんな感じの人やったかな、なんか嫌な感じやな、とガッカリすることがあるんですけど、これって何が悪いかといえば結局、オレが悪いんですよね。勝手に相手のイメージを築き上げたうえでそれにそぐわない相手であったらガッカリする、なんてこと、こうやって書いてみたらなんちゅうめちゃくちゃなおっさんや!と自分でもびっくりするんですけど、こういうことってごくごく自然に我々やってしまっている気がする。
こういうのって自分に都合のいいように周りが動いてくれてる時ほど起こりやすい。なんかうまいこと回ってる、いいぞ、いいぞ、この調子、と思っていたところ、せっかくのいい調子に水を差すようなことをされると腹が立つわけなんですが、そこで水を差してきた人に立腹するのって本来、お門違いというのか見当違いというのか、誰も自分の妨げにならないスムーズな状況が続いていたからこそ、ちょっとした邪魔が思いのほか鬱陶しい存在に思えてしまう。しかし、実のところ、うまいこといってると感じていたことが錯覚なのであり、むしろ邪魔してきた人はオレの勘違いを戒めてくれた有難い存在なのかもしれない。もちろん本当にただただ鬱陶しいアホかもしれない。ただ、立ち止まってあいつはどっちかに思いを巡らせるちょっとした時間が自らを成長させるのではないかとも思う。
幸いにして、オレは比較的社会の底辺をうろちょろしているので、少しばかりの勘違いはさして問題にはならないのですが、これが偉い人になると影響が大きくなるので注意が必要です。自分にとって都合のいい、扱いやすい人間ばかりで周りを固めてそれ以外の他者を寄せ付けず、たまに他者が注意をすれば、図星であればあるほど我を忘れてキレてしまう。思い返せば前の前の総理大臣がそんな人でしたよね。身の回りにも、ああいうタイプの偉い人はたくさんいるし、偉い人に限らなければ、あんな奴だらけだともいえる。自分だってそういうところがあります。大切なのは、そのことを恥ずべきことだと自覚するのか、それとも、そうして権力を振り翳しておくほうが何かとスムーズであると肯定してしまうのか。オレが恥ずべきことだと自覚しているのは社会の底辺にいるからなのでしょうか。少しでも偉くなったらオレも何かとスムーズになることの方を選ぶのでしょうか。一度でいいから岐路に立ってみたいけど、たぶん楽な方を選ぶんでしょうね。
そんなことをするくらいなら、底辺でもがき続けていようじゃないか。ああ、なんか、こんなこと書く人、嫌だな。