『喜劇 愛妻物語』
「電車の中で読んではいけない本」というカテゴリーが、筆者にはある。いや、電車の中に限る必要はないのだが、とにかく周囲に人がいるところでは読まない方がよい本の1冊である。なぜか。笑ってしまうからだ。
『喜劇 愛妻物語』は、脚本家・足立紳さんによる小説および足立さんご自身が脚本・監督された映画だ。主人公である語り手は脚本家の豪太。頑張っているのに結果が伴わず、妻・チカの収入に頼って一人娘のアキを育てている。脚本家と外働きの妻という設定は足立夫妻をモデルにしているそうだが、それ以外はフィクションであると思いたい。
もちろん企画が流れるということはあるだろう。もしかすると、売れなかった時期も八百万歩譲ってあるかもしれない。たとえそれらが事実であるとしてもそれ以外の、例えば豪太の頼りない言動はすべて創作ですと言ってほしい。どうか言ってください、お願いします。
豪太がいくら(チカの言葉を借りれば)「雑魚」で「クズ」であるとしてもなんとなく応援したくなってしまうのは、理不尽な理由で仕事がなくなってしまう悲劇に見舞われてしまうからか。それとも豪太がおもしろい脚本を書く才能があることに期待しているからか。後者は監督の実際の活躍を知っているからこそかもしれないが。
果たして自分には豪太を笑う資格があるのか。ありがたいことに今のところ筆者は毎月決まったお給料をいただける職業にあるが、いわゆる非正規雇用なのでこの先どうなるかわからない。独り身で恋人もなく、もちろん結婚の予定もない。安全なところから石を投げているだけではないだろうか。
しかしチカもすごい。シナハンのための香川までの道中は青春18きっぷで幼い娘を連れて鈍行を乗り継ぎ。取材先でメデイアミックスが進んでいることを聞けば夫の代わりにプロモーション。果ては『入れものがない両手でうける』にこじつけて愛を語る豪太に対して、放哉ではなく放……これ以上はやめよう。
この『入れものがない——』は尾崎放哉の句だ。『咳をしても一人』などの自由律俳句で有名な俳人である。彼が監督と同じ鳥取県出身であることは寡聞にして知らなかった。元の題名『乳房に蚊』も放哉の句から取ったという。Wikipediaの情報がどこまで信用に足るか判断しかねるが、放哉は性格に難ありな人物だったようだ。こうしてみると、この作品自体が散文の体裁を取った放哉の折句になっているとも思える。
電車の中で読書をする人が減った今、そのような人を見かけると何を読んでいるのか気になってしまう。この小説は偶然を装って多くの人の目に触れさせたいのだが、冒頭に挙げた問題がある。まぁ、普通に知り合いづてにおすすめすればよいだけの話なのだが。
映画は配信でも見ることができる。エンドロールが終わって、真っ暗な画面に濱田岳ではない豪太が映るのは、ちょっとしたホラーだ。
2023/05/06追記
MATERIAL tanimachiで開催された上映会および足立紳さんと晃子さんのトークショー、それに続く座談会に参加してきた。原作や脚本のやり取りは全然かわいいものだということが、ご本人達の口から語られて驚愕だった。その他のお話もとても面白かった。写真とサインにも気さくに応じていただき感謝である。