今年読んだ作品の話をさせてくれ
⚠ネタバレ⚠
今年読んだ作品だけど、あまり書くことがなかったり、理解不足で真面目に書ける自身がない作品について緩~く、感想を書きます。
所要時間 6分
『ひぐらしのなく頃に』
©2007竜騎士07/雛見沢御三家
アニメの『解』まで見ました。
リゼロやシュタインズ・ゲートに劣らず、ループ系の面白さが凝縮された作品でした。
知ったきっかけは、ed曲の『対象a』です。初めて聴いた時にとても惹きつけられて、いつも寝る時に聴いてましたw
あの得も言われぬ悲しい雰囲気、または禁忌を犯した後のような寂寥感、空虚感が好きなんです!
暫くしてから、これはアニメのed曲であると知り、本編を見たのですが、『対象a』の印象が強すぎて、あまり満足出来ませんでした。
この歌は歌詞が深いよなぁ。
「罪があるのは諦めているから罰があるのは求めすぎるから」これスコ
『黄昏乙女アムネジア』
マンガとアニメ両方見たのですが、記憶がごっちゃになってます。確かマンガが先でたまたま本屋で見かけて、絵に一目惚れして買いましたw
人間と幽霊というちょっと変わったカップリングで楽しめましたが、過去編は悲しい物語でした。
タイトルのアムネジアは、「物忘れの多いこと」を指す古典ギリシア語アムネースィアに由来する言葉で、幽霊の夕子さんは、過去の嫌な思い出を忘れることで、綺麗なままでいられました。
一方、辛い記憶を押し付けられてできた影夕子もいて、個人的にはそのキャラデザが凄い怖かったです。
物語の最後は、影夕子と一体化した夕子が成仏して、せっかく問題解決してスッキリしたのに二人は一緒にいられないバッドエンドだと思い、たまらず泣きそうになりましたが、
そんなことなかったですね。普通にまだ幽霊でしたね。
個人的には、バッドエンドの方が好きですが、こういう終わり方もいいなぁって思いました。(小並感)
『アーサー王物語』
Fgoのストーリーにほとんど関係ないのに、何故か我が物顔でアイコンにいるあの人の原典が気になって読みました。
余談ですが、日本だとアルトリアで統一されてますが、海外だと論争があるらしいですw
Fgo公式は「Altria」ですが、「Artorius」の女性名詞だから「Artoria」だろ!勢と元ネタが「Arthur」だから「Arthuria」だろ!勢がいて、公式が「Altria」を使うたびに、発狂する海外二キがいるのほんと草
更に雑談して、ダークソウル1DLCのボス「アルトリウス」
おそらく彼の名前の由来はブリタニアに駐在していたルキウス・アルトリウス・カストゥス。 そして彼はアーサー王のモデルとなった人物らしいですね。
ハッ!ということは、起源が同じなので、アルトリウス(ダクソ)=アルトリア・ペンドラゴン(Fate)!?(暴論)
©TYPE-MOON/FGO PROJECT
・感想
ランスロット卿...人間の屑がッ!...この野郎...
まぁ、アーサー王が嫁はんの相手しなかったのも原因だけど
個人的に面白かったのが、ランスロット卿による寝取られ騒動で一番怒っていいはずのアーサー王が、全然興味なさそうにしてるところw
この作品の印象深い点はドロドロの性事情です。近親相姦だったり、熟女との恋だったり。
そしてFgoプレーヤーなら誰もが気になっているであろう単語「アルビオンの竜」(白い竜)
原典だとヴォーティガンとマーリンが関わってるので、6章のアヴァロン・ル・フェで彼らも登場するかもしれませんね。
『論語』
・孔子の凄いと思う点の一つは、とても謙虚なこと。(何様だよ)
徳はとっても良いことだけど、実行しにくい事だと私は思っていて、つまり、徳とは現場から一歩引いた視点で物事を語ることだと思います。(その是非は置いといて)
でも、彼の主張は現実的なんですね。
例えば、「勿論、こころがこもってはじめて作法は完成するけど、こころという本質は理解しにくいから、まず、作法という外側を示して、感じを掴ませるやり方もいいよね。」とか、
「何か人より優れた特徴がある場合、周りから恨まれないように、相手に不快感を与えない言い訳が言えるようにしておくといいよね。」とか。
めっちゃ現実的で、今の時代にも当てはまりますねw
こんな風に、徳の性質に陥らなかった孔子はとっても謙虚な人だったんだなぁと思います。(謎の上から目線)
『ソロエコノミーの襲来』
結婚せず、一人で生活するソロの日本人について書かれた本です。
ソロの多くは、自ら独身を選んで後悔していなくても、結婚して一人前という社会一般の考え方によって、結婚していない自身に欠落感を感じることが多く、その欠落感を、共同体への貢献で埋めようとするそうです。
貢献することで、自分は社会にとって必要な存在である、役に立っていると実感でき、人間の基本的欲求である、達成感と承認欲求を満たせるそうです。
例えば、フロムゲーの考察界隈。ネット上には考察コミュニティなるものがあって、自分の考察が他人の役に立つ場合があります。
これこそソロが求めし報酬です。彼らは貢献感や承認欲求に飢えている。そして、考察すればまた(コミュニティに)貢献できるかもしれないと思い、ますます考察に没頭するようになります。
他にも、Vtuber界隈は正に当てはまると思います。コメント欄で、推しの成長にまるで彼らの親であるかのように感嘆している人をよく見かけますが、ああして保護者のように振る舞うことで自身の存在意義が満たされるのでしょう。
つまり親の疑似体験をしているのです。そして、その最も手っ取り早い方法がスパチャです。スパチャでお金をあげることで、推しの生活を支えていると思える。自分は紛れもなく役に立っていると実感できる。
スパチャは恐ろしい発明ですよ…
ですから、最近ソシャゲでよく見かける「俺らがママになるんだよ!」という言葉は言い得て妙。今までは逆に推しキャラに母性を求めて、「○○(キャラの名前)ママ」と言う場合が多かった気がします。
しかし、これからは「俺=ママ」が当たり前の時代がくるでしょう、(性別矛盾してますが)
これは正しく、ソロ達が欠落感を埋めようとした結果だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。