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社会学研究者 村瀬泰菜さんが読む『女性を弄ぶ博物学』──わたしの仕事と工作舎の本#5

村瀬泰菜さんは、チェコの生殖技術とそれをめぐる政治や制度について
歴史社会学や科学技術社会論の視座から研究しています。
刺激を受けた本として、ロンダ・シービンガーの一連の著作や
キャロリン・マーチャント『自然の死』(品切)など、
科学知とジェンダーをテーマにした工作舎の本を挙げて下さいました。
今回は、シービンガー『女性を弄ぶ博物学』をひもときながら
性と生殖の問題に取り組む村瀬さんの仕事について寄稿いただきます。

『女性を弄ぶ博物学 リンネはなぜ乳房にこだわったのか?』工作舎 1996年
ロンダ・シービンガー=著 小川眞里子+財部香枝=訳
A5判/上製 280頁 定価 本体3,200円+税

ロンダ・シービンガー
『女性を弄ぶ博物学 リンネはなぜ乳房にこだわったのか?』

村瀬泰菜

『女性を弄ぶ博物学』と出会うまで

 私は大学を出るまで兵庫の実家で暮らした。西の窓から望めるのは田んぼばかりで、車がないと最寄りのスーパーにも行けない、町の端にある家だ。隣には庭を挟んで父方の祖父母宅があり、正月や盆には親戚たちが集まった。幼い頃から、「女の子やのに、勉強ばっかりして」とよく言われた。年を重ねるごとに皆の語気は強くなった。「女の子が大学行っても…」「頭ええ女なんか結婚相手おらんで」「大学出て遠く行く気?誰が家の面倒みるん?」。思春期の私は反骨精神の塊で、親族で初めて四年制大学に進学した。家から通える大学、というのが条件ではあったけれども。
 大学進学後まもなく、一回生向けのゼミで食や環境、原発など種々の社会問題に関する本を読んだが、中でも琴線に触れたのは『闇の子どもたち』や『サンダカン八番娼館』、『砂漠の女ディリー』など、女性の性と生殖に関する諸問題を扱ったものだった。売買春、人身売買、女性器切除、人工妊娠中絶、避妊、不妊治療、妊娠・出産、ケア労働、どの問題をとっても、私には他人事に思えなかった。
 二回生の頃には、生殖補助技術、とりわけ代理出産や生殖ツーリズムの問題に関心を抱くようになっていた。性と生殖はどう関連しているのか、性と切り離された生殖とは何を意味するのか、なぜ人は子どもを持ちたがるのか、なぜ子を持たない/持てないことがスティグマとなるのか、そんな断片的な疑問を漠然と抱きながら日々大学図書館に通った。『女性を弄ぶ博物学—リンネはなぜ乳房にこだわったのか』に出会ったのもその頃である。

乳をやるのが哺乳類?

 『女性を弄ぶ博物学』で抜きん出て印象に残ったのは、副題にもなっている第2章の内容である。18世紀ヨーロッパで活躍した植物学者カール・フォン・リンネは、生物の学名の付け方として二名法を編み出し、「分類学の父」と称される。今日でも用いられる「哺乳類」という分類もリンネにより造られた。この哺乳類という語はラテン語でmammaliaといい、同じくラテン語で「乳房」の複数形を表すmammaeに由来する。つまりリンネは、「この類の半分(雌)だけで『機能的』であり、しかも雌の間でも比較的短期間(授乳期)に限られ、あとは全く機能的ではない」(シービンガー 1996, 52)乳房に「哺乳類」と名付けられた綱に属する動物の特徴を見出しているのである。

人間の子供に乳を与えるクマの図像(本書67頁)

 この命名の背景には、当時の社会情勢がある。エリザベート・バダンテールによると、18世紀のフランスにおいて中・上流階級の女性は出産後に児を乳母に預けるのが主流であった。授乳は「乳牛」のイメージを彷彿とさせる女性にとって下品で恥ずべき行為だとみなされており、中・上流階級の母親による授乳の拒否は、女性の解放と自立に結びつけられていたためである。しかしながら、乳母のもとでの生活には飢餓や不衛生などのリスクが付き物であり、母親自ら授乳し育てた児に比べて里子に出された子どもの死亡率ははるかに高かった(バダンテール 1991)。リンネが哺乳類を造語した時期は、まさに医師や政治家によって母乳が礼賛され、実母による授乳が奨励され始めた頃であった。雌の乳房に向けられた科学的関心が、実母の母乳による子育てを動物として自然な行為だと価値づけ、当該社会における性別分業を促進したのだとシービンガーは言う。
 時代や空間を超えても変わらない客観性を持つものだとずっと思っていた科学知が、その時の社会情勢に少なからず影響を受けて生み出され、そのうえ以後の社会的価値にインパクトを与えているとは、当時の私にとって目から鱗の衝撃であった。科学的知識と社会は相互に連関している。

伏し目で慎しみ深いしぐさに描かれたメスのチンパンジー(本書115頁)

科学・技術は社会といかに連関しているのか?

 学部3回生の秋から、チェコ共和国に交換留学した。欧州では卵子提供を受けるためにチェコに行く人々が増えているが日本では研究している人がいないと、ある先生へのインタビューで伺ったためだ。修士課程に進んでから、本格的にチェコの生殖をめぐる政治に関して研究を始めた。どのような社会的価値の中で生殖技術が生まれ、それが利用されることで社会にどのような影響を与えているのか、というのが根本的な問いである。
 村瀬(2023)が論じるように、現在チェコが「国境を越えたリプロダクティブ・サービス(cross-border reproductive services)」の受入国となっている背景には、そもそもチェコ国内における不妊治療の需要の高まりがある。社会主義政権が崩壊した1990年代以後には、失業対策の一環として女性の専業主婦化を促す政策がとられた。「三歳児神話」や性別役割分業が根強い環境で保育施設は次々と減らされ、母親は長期失業のリスクにさらされる。女性にとってキャリア形成と妊娠・出産、子育ての両立が困難を極める環境下で、ポスト社会主義期には個人の教育やキャリア形成を重視する欧米的なライフスタイルが広まり、結果的に女性の平均初産年齢は上昇している。不妊の原因は女性、男性双方に考えられるが、初産年齢が上昇することで不妊治療を利用する可能性は増すと言われる。今日のチェコではおよそ6〜7組に1組のカップルが不妊に悩んでいるとされ、不妊治療の利用数は年々増加の一途を辿っている。
 社会・経済的なジェンダー格差は不妊治療の需要を増加させる一方で、金銭的利益を目的とする卵子提供の数も増やしていると推察される。一度の卵子提供につき平均月収相当の補償金が支払われており、チェコでは提供を繰り返す女性が少なくないからだ。西欧諸国でみられる純粋な贈与でなく、金銭的報酬を目的とした卵子提供が中東欧諸国では特徴的だというが(Cooper & Waldby 2014)、チェコでも不妊治療の市場化が加速している。例えばアンドレイ・バビシュ元首相の投資先の子会社であるFutureLifeは十年ほど前からチェコ国内外のクリニックを買い上げ、生殖技術の利用を望む海外からの顧客を取り込もうとしている。近年、チェコでの卵子提供数は年間五千件を越えるが、提供された卵子の八割以上が外国人クライアントに移植される。生殖技術は、国境を越えた移動と市場を生み出しているのである。
 現在、「わたしの仕事と工作舎の本」第4回の執筆者である鶴田想人氏とともに無知学の研究にも携わっているが、そこにもやはり『女性を弄ぶ博物学』の衝撃が波及している。無知学で分類される無知には、意図せず受動的に作られるものがある。非意図的無知には、それこそシービンガーが「ジェンダード・イノベーション」によって知への転換を図る、科学研究で生み出される無知も存在する。例えば遺伝学では、性決定部位としてY染色体を捉え、Y染色体を欠く女性の性発達モデルをデフォルトとみなすことで、卵巣の発達を制御する積極的なプロセスが見過ごされてきた。シービンガー曰く、これは社会に蔓延する「受動的な」女性像が科学の理論に反映された結果生じた非意図的無知である(Schiebinger 2020, 278-81)。
 何が「自然」なのか、価値や規範は時代や社会ごとに異なる。きっと今日の日本では、大学進学に男子も女子もないと思っている人の方が多いのかも知れない。しかし時代が移り変わろうと、その土地、その時の社会規範は、「客観的」だと言われる科学知にも浸透する。女性や有色人種、性的マイノリティ、障がい者、少数民族などが教育や研究、政策決定に参画する機会を奪われている状態は、その実バイアスのかかった科学的知識や技術を生むことにつながる。

「人種」も当時の科学によって制度化され、女性の身体によって表象された(本書203頁)

【参考文献】
●バダンテール、エリザベート.1991.『母性という神話』筑摩書房.
●Cooper, Melinda, and Catherine Waldby. 2014. Clinical Labor: Tissue Donors and Research Subjects in the Global Bioeconomy. Durham: Duke University Press.
●村瀬泰菜(印刷中).2023.「チェコをめぐる『国境を越えたリプロダクティブ・サービス』——生殖市場をうむ制度的要因の検討——」『科学技術社会論研究』 (22).
●Schiebinger, Londa. 2020. “Expanding the agnotological toolbox: methods of sex and gender analysis,” in Janet Kourany and Martin Carrier (eds.). Science and the Production of Ignorance: When the Quest for Knowledge Is Thwarted, 273-305.


村瀬泰菜(むらせ・やすな)
1996年生まれ。専門は歴史社会学・科学技術社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程在籍。現代のチェコ共和国における生殖補助技術関連制度の形成プロセスについて、博士論文執筆に向けた研究を行なっている。その傍ら、無知学や、脳神経科学研究をめぐる欧州のイノベーション政策についても研究している。分担翻訳/共訳に『こわれた絆——代理母は語る』(生活書院)、「無知が作られているとき——対談」(『現代思想2023年6月号』青土社)。researchmapはこちら



『女性を弄ぶ博物学』について──工作舎より

『女性を弄ぶ博物学』(原題:Nature's Body: Gender in the Making of Modern Science)は、科学史家ロンダ・シービンガーの2冊目の単著です。原著刊行は1993年、邦訳は小川眞里子・財部香枝両氏の翻訳によって、1996年に工作舎から刊行されました。
本書は、18世紀ヨーロッパに興隆した博物学を主軸に、分類学、解剖学、人類学などの自然科学が、当時の価値観や社会制度とどのような相互関係を結んで発展していったのかを分析しています。
博物学者リンネとともに、本書の重要人物として登場するのが政治哲学者ルソーです。子供を産んでも授乳せず、乳母に託したり里子に出したりする当時のフランスの風潮に対して、ルソーは母乳育児こそが「自然」であると主張しました。
ルソーの死後に始まったフランス革命初期においては、女性たちも「女市民」として活躍しました。特に、食糧不足に怒った庶民の女性たちが多数参加したベルサイユ行進は、革命を大きく前進させる推進力となりました。しかし、革命後の共和国の女性像はしだいに保守化していきます。

勇ましくも胸もあらわな自由の女神に導かれ革命家たちが行進し、まさにフランス革命に酔いしれていた時代に、母の乳房は「女は家庭に!」を示す自然のしるしになった。この点は押さえておく必要がある。フランスの国民公会の代表は、女性を市民権や公権力の行使から除外すべきだという自然なしるしとして乳房を用いた。(本書84頁)

乳房は革命のアイコンから良妻賢母のシンボルへ?
ドラクロワ「民衆を率いる自由の女神」
(『巨匠の世界 ドラクロア』タイム ライフ インターナショナルより)

博物学の時代であった18世紀、自然とは何か、母とは何かを決定するのはリンネやルソーに代表されるような限られた男性たちでした。では今は? 
今回の寄稿者の村瀬さんは、現代の生殖技術と社会の関係性を研究しておられます。同性カップルによる子供の誕生も実現している現代、母とは、卵子という遺伝子の提供者なのか、胎内で子を育てた出産者なのか、生物学的なつながりがなくても「わが子を得たい」と願った主体なのか。
加速する生殖技術と「本来こうあるべき」という価値観との葛藤によって、私たちが抱いている母や親子の定義はこれからも揺れ動き、更新を迫られていくように思います。(文責・李)

(左)エリザベート・バダンテール『母性という神話』。『女性を弄ぶ博物学』と合わせて読むのがおすすめ。鈴木晶=訳『母性という神話』(筑摩書房)
(中)村瀬さんも訳者として参加した『こわれた絆 代理母は語る』。
ジェニファー・ラール他=編 柳原良江=監訳(生活書院)
(右)人間を性や人種で分類する理論の系譜を探る平野千果子『人種主義の歴史』(岩波書店)。『女性を弄ぶ博物学』も参照されている。


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