第10章 闘病生活の終焉から社会復帰までの5か月間の軌跡
約1年間の闘病生活を終え、ついに病院に通う生活を終えました。ここからの目標は「生きる」から「社会復帰する」に変わりました。社会復帰を目指して体力面、精神面のリハビリを行う日々を過ごしました。社会復帰を果たすまでの5か月間をどのように過ごしたかについて書いていきます。
リハビリ生活の始まり(2022年1月)
2021年12月末に闘病生活を終え、2022年の始まりと同時にリハビリ生活をスタートさせました。リハビリといっても、まずは普通の日常生活を送るところを目指しました。1日のスタートは昼過ぎから始まります。というのも副作用が残っていて、起床してから3~4時間はずっと体調が悪くて動けません。昼頃になるとようやく体を起こせるようになります。
起き上がると、まずお風呂に長時間はいります。血液がうまく循環せず、低血圧や吐き気の症状がなかなか消えません。なのでお風呂に入り血行を良くすることで次第に体調をよくしていきます。
風呂上りから夜にかけては何もせず、ただテレビを見たりしていました。皆さんは想像つきにくいかと思いますが、1年間も寝たきりの生活をしていると、そもそも椅子に座ったり、なにか物を取るために歩くなどの行動すらも一苦労なんです(笑)。さらには食事をするだけでもかなり体力を消耗します。消化をするために胃や腸がエネルギーを使うので、ご飯食べた後しばらくは体がだるく疲労を感じます。
最初の1カ月は上記のような普通の日常生活を送ることをゴールに生活をしていきました。午前中はやはり体調が悪く動けないことがほとんどでしたが、午後に関しては日常生活を難なく送ることができるようになりました。
また、感情面でも少しずつ回復が見られました。闘病中は感情の起伏が起きないようにできるだけ無になることを意識していました。治療はきついこともあるので途中で逃げ出したくなったり、もう生きることを諦めたりしてしまうことも十分に考えられます。なので一時の感情に左右されずに、「生きるためには何が最善か」というゴールだけを見据えた冷静な判断をするために感情はあまり出さないようにしていました。
最初のうちはお笑いなどを見ていても、全然笑うことができず流し見をしているだけだったのですが、次第に感情が戻っていき久しぶりに心から笑うことができるようになっていきました。
体力面の全回復を目指す(2022年2月)
リハビリ生活2カ月目、この頃から日常生活は送ることができるようになってきたので毎日運動を取り入れることにしました。外でのウォーキングとプールで泳ぐことで有酸素運動を取り入れ、体力の回復に努めました。
ウォーキングは懐かしい場所をめぐることでモチベーションを維持していきました。高校卒業後に上京したため、ゆっくりと地元をめぐるのは6年ぶりでした。母校や昔の通学路を歩いたり、ここ数年で変わった街の風景を見に行ったりすることで、過去の思い出をたくさん振り返ることができました。今まで関わってきた人たちとまた会いたいという気持ちになり、体調が多少悪くても継続することができました。
また、週に2日くらいは大きな市民プールに行って泳いでいました。実は3歳から中学1年生まで水泳を習っていました。当時は小学生ながらオリンピックを目指すなんて大きすぎる目標を掲げて週7回の練習をこなしていました。その頃によく大会の会場となっていたのがこの大きな市民プールでした。ここに通うことで、昔の必死に生きていた自分を思い出し、また何かに向かって挑戦する毎日を送りたいという気持ちにさせてくれました。
運動を毎日継続していくことで、体力は一気に回復していきました。月の後半には3キロくらいランニングできたり、水泳に関しても1キロくらいは泳げるようになっていました。病気前と比較すると50%くらいだと思いますが、もともと体力がある方だったので、おそらく成人男性くらいの体力には戻っていたと思います(笑)。
脳の働きを戻す(2022年3月)
リハビリを継続していき、健康な毎日を過ごせるようになってきました。目標である社会復帰に必要な要素として残るは「脳の体力」が必要だと感じていました。もともと働いていた会社はIT系の会社なのですが、マルチタスクで業務を効率よくこなしていく会社だったので、情報処理やインプットなどのスピード感が求められる環境でした。そこに順応していくためには脳の体力を回復しないと復帰はできないと感じたため、今までのリハビリに加えて脳のリハビリを開始しました。
長時間机に向かって作業ができる体力とインプット能力を上げるために資格の勉強をすることにしました。会社に復帰したときに役立つ知識を持っていれば有利に働くと考え、「ITパスポート」という国家資格を取ると決めました。期間を1カ月と設定し、勉強を開始する前から1か月後の試験日を調べて申込をしました。やらなければいけない環境を作ることで結果にコミットできるという自分の価値観は残っていたみたいです(笑)。また試験会場は全国どこでも受けられるとのことだったので、あえて東京で申し込みました。そうすることで東京に久しぶりに顔を出し、仕事復帰をするためのモチベーションにしようと考えました。
そこからほぼ毎日カフェに行き、1冊の参考書と過去問を使って勉強をしていきましたが、やはり一筋縄ではいかなかったです。そもそも1年間も全く思考せずに生活していたので、脳が全く働かなくなっていました。文字は読めたとしても、内容を理解したり、頭に知識を入れるということは全然できません。それどころか日常生活での会話ですらスムーズにできない時もあります(笑)。話は聞こえていても、内容を整理して理解することがうまくできなくなっていました。
なので、まずは活字になれるためにニュースアプリで記事を読んで理解するということをしました。それに加えて考える力を鍛えるために論理的思考力があがるドリルを毎日やりました。これにより、最初は勉強のペースが遅く当初のスケジュールからは大幅に遅れていたのですが、継続していくことで次第に脳の体力も回復していき、学習ペースは一気に上がっていきました。
そして勉強すること3週間、3月の試験を受けるために東京に行くことができました。試験結果は「合格」で、1カ月国家試験チャレンジは成功しました。この合格にたどり着いた瞬間、心技体がすべて整った感じがして、ついに闘病者から健常者になり社会復帰できるかもしれないという自信を持つことができました。
待っていたのは職場でのサプライズパーティー
試験を東京で受け終わった後、病気になる前から働いていた会社に復職したいという連絡をしました。無事に闘病生活を終えたことと、常に応援してくれていた社員の皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて、会社に訪問することになりました。簡単に挨拶をできればと思い会社に行ったのですが、待っていたのは全社員による復帰パーティーでした。闘病お疲れということで会社全体で業務を止め、復帰祝いをしてくれました。社長や同期からのメッセージもいただき、ほんとに感謝と感動で胸がいっぱいになりました。今までの耐えてきた日々がすべて報われた気がして、この瞬間に自分の1年間の判断と行動は間違っていなかったと確信できた気がします。
この会社を訪問した日に部長と面談をさせていただき、1か月半後の5月から復帰をすることが決まりました。それに合わせて4月から東京に家を借り、1年3か月ぶりに東京生活に復帰をすることとなりました。
次の章では、社会復帰後の生活について書いていきます。治療を終えることが闘病のゴールと思っていましたが、実はゴールはまだまだ先なんだと感じさせられる日々を過ごすことになります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。