「他山の石」の誤用を他山の石として、言葉は正しく使っていきたい(『詩経』小雅・鶴鳴篇)
今回取り上げるのは『詩経』小雅・鶴鳴篇からの言葉。
他国の山の石であっても、玉を磨くのに使うことができる、という意味。
もともとは、国を治める方策について語った言葉です。
つまり、他国の優秀な人間は、たとえ身分が低くても積極的に登用すべきだ、ということですね。
今ではそれが転じて、他人の誤った言動を自分の修養に役立てる、といった意味になっています。
いわゆる「他山の石」というやつですね。
現代でも時々使う慣用句だと思います。
そういえば、ネットで見たのか、直接耳にしたのか覚えていないのですが、
恩師やお世話になった方に向けて「〇〇さんを他山の石として頑張ります!」といった使い方をされている方がたまにいらっしゃる気がします。
ですが、この使い方は間違いです。
もともとの意味合いであれ、現代の意味合いであれ、要は「マイナスな面はあるけれど、自分の役に立つなら存分に役立てよう」といったニュアンスなので、尊敬する方に向けて使うべき言葉ではありません。
むしろ失礼な発言になってしまうので、気をつけた方が良いと思います。
使う場面として正しいのは、「人のふり見て我がふり直せ」といった場面ですね。
具体的には、
「〇〇さんはいつも遅刻する。あの人を他山の石として、自分は余裕を持って家を出よう」
といった感じでしょうか。
他人の良くない行動や発言を鏡として、自分の言動を見直すこと。
それが本来あるべき「他山の石」の使い方なのです。
他国の優秀な人間は、たとえ身分が低くても積極的に登用すべきだ、という言葉をご紹介しました。
今では意味が転じて、他人の誤った言動を自分の修養に役立てる、といった意味になっています。
あくまで、他人の「誤った」「良くない」言動を見て、自分の言動を見直す、というものなので、誤用には気をつけましょう。
慣用句は意外と意味を勘違いしやすいものが多いので、使い所をきちんと見極めていきたいですね。