【エッセイ】汚いのは本だと思っていたが、汚いのは自分自身だった。
私は図書館とそこにある本たちが嫌いだ。汚いものが詰まっていると感じるからだ。勤勉な先人たちの手汗が染み付いている感じがする。怠惰な学生のやる気のない溜息が漂っている気がする。茶色く変色した古い本たちは偉そうに威張っている気がする。新しめの本は最新の知見を抱えてしゃんと立ってこちらを見下している気がする。大学生活を無事に乗り越えるには期末に参考文献を探しに図書館を訪れ、必ずそれらを借りる必要がある。テストやレポートよりも私が何より憂鬱なのはその大量の古本をよく吟味しながら手にとらなければならないことなのだ。選んだ本はビニール袋に入れて持ち手の部分を指先で摘んで持ち運ぶ。本に触れた手指を石鹸で洗わなければ気持ちが悪い。いざレポートを書き始める時は腕まくりをする。相当気合いを入れるタイプに見えるかもしれないが、そうではない。本が洋服に触れるのが嫌なだけだ。まるでオペ前の医者のように手が余計なところを触れないようにしている。手を汚さないためではなく、手が既に汚れているからなのだが。汚染を拡げたくない。参考文献を横目にしながらレポートを書いた後は辺り一体、PC、スマホを全てアルコールで殺菌消毒する。菌なんてないが。毒なんてないが。優雅にベッドの上で課題を仕上げられることはない。もはや自分の部屋に持ち込めない。リビングにしか侵入を許さない。
一方で、私は本が好きだ。本屋も好きだ。お目当ての本や気になる本を見つけた時の感動は何度経験しても顔を綻ばせてくる。値段は見ない。レジで驚く。大抵の場合、読了後にその値段に納得する。内容よりも何よりも本屋の新しい本は綺麗だ。清らかだ。人の執念や邪気や物理的な汚れがない。紙の透き通るようなツンとした美しい香りがする。手触りがサラサラとしていて輝いている。本の入った紙袋を大事に大事に抱えて帰宅する。雨が降っていれば子猫を抱えているかのように上着の内側に入れる。ベッドに持ち込んで温かい布団の中でゆっくりと読める。手を洗う必要がないから世界観に耽ったまま寝てしまうこともできる。新しい本は良い。と思っていた。
ふと新しい本を読む前の自分の行動を振り返ってみた。本屋で本をやたらめったら触れない。目についた本を手に取る前に手汗をジーンズで拭う。口をつぐみ、緊張感を持って持ち上げる。買うと決めたら一旦置き、本屋を一周して気が済んだら回収しに戻ってくる。角を摘み上げ、小脇に挟んでレジにいく。喜びで体温の上がった手から無駄に汗が移らないように、慎重に扱う。紙袋に入ってようやく愛情を込めて抱えることができる。いざ読むとなったら何をしているか。手を洗う。完璧に乾燥させる。ハンドクリームなんてつけない。表紙を取り外し、裸になった本をサラサラになった手でペラりとページをめくっていく。読了後は表紙を戻し素敵な装丁を眺めていたい衝動を抑え、日の当たらないところに収納する。
本が汚いのではない。私が汚いのだ。私が汚しているのだ。気づいてしまった。気づきたくなかった。私にとって、本はあまりに美しく、大事で大切で宝石のような物なのだ。だから宝石のように扱う。本はそう扱われなければならない。人間は本よりも遥かに汚れている。「本は人に触れられれば触れられるほど下等品になってしまう」そういった自身の穢れを意識してしまうから、図書館の本や古本は汚い物だと考えてしまっていたのだ。本が汚いのではない。汚い私が更に本を汚し、穢れた目で美しい本を下等に見定めていたのだ。
先人の手汗は学業のヒントになるし、怠惰な学生の溜め息は共感を呼び、課題を乗り切る支えになる。変色した古い本は偉そうなのではなく、実際に偉いのだ。新しめの本は魅力を放って選ばれてきちんと誰かに読まれなければならないのだ。
「どうにかして人の穢れを忘れて、古い本を純粋に楽しむことができないだろうか。新しい本を納得のいく方法で汚し、年季を入れることはできないのだろうか。」こんなことをさっき大事に本屋から迎えた本たちを眺めながら考えていた。まだ汚れていない。輝いている。美しい香りを綺麗な装丁から放っている。