会議に神様が参加したら心理的安全性が生まれるかも!?
突拍子もない話ですが、前回のキリスト教の話から神様という存在は人間を超える凄すぎる存在で、そんな神様からしたら人間なんかどんな人間もどんぐりの背比べで大した違いなんかなくて、皆平等みたいな話を書きました。でそんな神様に我々の邪魔にならないように部屋の隅っこにいてもらって会議をしたら、なんか意外と良いかもしれないという話w
まず心理的安全性ということですが、これはGoogleとかで言われている、会議の中で自由に発言が出来るようになんでも話して大丈夫だよっていう、場作りが大切だよっていうやつですね。
で会議の場に神様に居てもらうということですが、それが何を意味しているかと言うと・・
神様のような大いなる存在を意識すること。
つまり、とんでもなく大きいメタ認知の視点を組み込むということなんです。
どういうことかと言うと・・
無限の視点があることを知るのが大切?
例えばある意思決定をする時Aの立場とBの立場があって、どちらにしようか悩んだとします。そんな時対立が生まれたり、落とし所が見つけられなくて、AとBを足して2で割るみたいなことになったりする。でもここでめちゃくちゃ大きいメタ認知をしてみると、このAとBの対立はめちゃくちゃ小さなことに見えてこないだろうか?って思ったんです。つまりここで取る立場っていうのはAとBだけじゃなく、気付いてないもしくは考えられていないだけで、AからZまで、もしくはそれ以上に無数に存在しているんじゃないか?ということを意識してみると言うことなんです。そう考えると、そのうちの2つで対立してるんだったらなんかとっても小さいことじゃないか?っていうことを意識できるんじゃないかと思ったのです。
さらに例えてみると、AとBにもう一つ大きな軸として時間軸を入れてみましょう。現在と未来があって、今取るべきAという立場とBという立場は今という時点を優先して取るべき姿なのか?それとも1年後を見据えて取る立場なのか?はたまた5年後10年後を見据えて取る立場なのか?とそんな風にさらに視点を広げてみます。そうするとAという立場で見ただけでも現在と未来、複数の道が見えてきます。さらにBにとっても複数の道が出てきますし、そもそも、CとかDの立場もあるかもしれないってことを考えると、無限に広がってくる。
と言うように神様に会議に出て居てもらう=めちゃくちゃ大きいメタ視点をもつと言うことで、現在議論されている立場とかそれによって発生する対立とかがとても小さく見えてこないだろうか?ということなんです。
例えば今Aという判断をしたってそれが正しいかなんて全く不明だし、Aという立場をとってもその立場が未来に及ぼす影響なんてことも完璧にわかるなんてことは無理なわけですから、あくまで暫定的にAを選びましょうということ以外に落とし所が見つけられない。暫定的だからこそ何か不具合が起これば軽やかに別の立場に変えたら良いと思うのです。
意見や考えは誰かに依存しない?
つまり会議の中では様々な視点を探して語り合うことが大切で、そこには誰が言った意見であるとか、その意見が間違っているとかいうことは全くナンセンスな問題になる。私達が今やろうとしていること、そこにどれだけ沢山の視点があるか?ということを考えるのが1番大切になるのですから。誰かに依存した意見、つまり私の意見だからーとかそういうこだわりから離れられるように感じられるんです。私の視点から見つけた意見は私の意見ではなく、大きな視点から見た時の“私の視点から見た一つのバリエーション”であるという考え方。だって大きな視点から見た時に私の意見とあなたの意見には優劣がないのだから。そこにあるのは単純な違いだけです。
どんな奇想天外な意見も、そんな視点があったか!という発見だよね?
だからこそどんな発言があっても良いということにもなると思うんです。考えても考え切れないくらい多様な視点がきっとあって、どれだけ奇想天外な意見に見えても、こういった大きい視点に近づくためには無数に色んな意見を出しても出し切れない。だからなんでもいいから話してみて、皆んなで大きな視点を獲得して、その中で今この時この場所で大切な選択をするための議論をしよう!ということなんじゃないかなと。むしろ、面白い意見や独特な視点が出てきたら、その視点ナイス!大きな視点に近づいた!みたいな楽しみ方も出来る。こんなこと言ったら誰かに笑われるんじゃないか?馬鹿にされるんじゃないか?そうじゃなくて「そんなことないやろーw、でもそんなことないやろーって思うからこそ気付かへんかったわー!面白いなー!」って皆で笑って驚いて発見すれば良いんじゃないかな?だとしたら「想定外でした」というあの厄介な言葉からも離れられるような気がする。想定外を想定出来るようになってくる。そんな感じ。
大きな視点はまさに多様性?
合わせて大きなメタ視点を獲得するためには多様性が重要になる。何故なら人それぞれの沢山の個性から眺めることで、その課題に様々な角度からアプローチ出来るからです。人種も違えば年齢も違う、文化も違う、その方が沢山の角度から課題に対してアプローチが出来る。結果として複数の視点を獲得し、大きな視点に近づくことが出来る。もしかしたら、多様性を尊重するとかいう話じゃなくて、絶対的に多様性が必要なんじゃないか?だって、沢山の意見を出すためには多様な人が必要なんだから!って言うそんな感じ。
まとめ
って言うことを考えましたw
色々と話が散らかってしまったのでまとめてみると。
神様に会議に参加してもらう=めちゃくちゃ大きいメタ視点をもつ。
大きなメタ視点をもつと、
◯ある一つの結論も無数の選択肢の中の一つでしかないから、正しいかなんてことは分からない。同時に正しいかなんて分からないから意見に正しさも間違いもない。正しさも間違いもないから批判も対立も生まれることがなくなるんじゃないだろうか?
◯無数の選択肢を知り、より多くの選択肢を見つけることでしか、今自分達が選んだ選択が適切なのかが判断出来ない。だからこそ、より多くの選択肢を見つけることそのものが大切。どんな奇想天外な意見でもいいから話をして、自分達の視点を広げるような自由な発言をする。想定外が想定出来るような、そんな感覚を大切にする。
◯適切な選択をするためにより多くの意見や考え方からのアプローチが必要だから、多様性のある人達が集まることが重要になる。つまり年齢や人種、文化の違いなど人の多様性を大切に出来るし、むしろ必要だから多様性が欲しいって感じ。
というように、会議に神様がいて大きなメタ視点を意識したら、自然と心理的安全性を獲得するための力学が発生するような気がするのですがどうでしょう?
ですが唯一にして絶対的な大前提があります。
それは皆でこのことを共有しなければなりません。それは・・
“皆で大きなメタ視点を獲得するための会議であり、無数に存在するであろう選択肢を出来るだけ沢山見つけることが大切だ”ということ。だから意見は個人に依存しないし、多様な意見を大切にする。そして“今”という状況から“何を”大切に(目的に)して決めるのか?という自分視点ではない視点から皆で話をするんだ、ということ。
その前提さえ作れれば心理的安全性を参加者全体で作ることが出来る気がしたのです。
最後に自分の感想
もしかしたら、単純にいうと“主語を人類にする”ということが大切なのかもしれませんね。会社の会議では主語は“会社やプロジェクト”になるかもしれません。でも今の世の中では会社だけが良ければそれで評価されることはありません。そうなるとこの辺りに住んでいる人類、例えば会社という主語から日本全体が主語になり日本の誰かを救うことになればその会社は評価されそうです。でもそれで他の国の誰かにとってダメならそれはどう考えましょうか?そう考えていくと地球温暖化も結局国の利害関係とかが大きな問題になりそうな気はしますし・・豊かな国は排出を制限する。でも経済発展したい国は今から排出が必要になる。私は地球温暖化って、地球に宇宙人が侵略してきたぐらいの問題だとも思うのです。宇宙人がきて、もし侵略目的だったら地球全体で力を合わせなくちゃいけないですよね?だから本当は地球温暖化が1番主語を人類に出来る課題だとも思うのですが・・とりあえず主語を人類にすることは何か鍵を握っている気がします。でも人類を主語に語る人は偽善者とか理想を掲げた胡散臭さも感じられてしまうかもしれないなーとも思います。そして人類のために頑張ろうとする人は、極論人類のためにならない人を殺してしまうことにもなりかねないなーと。そしたらヒトラーやロベスピエールみたいな、正義という言葉に取り憑かれてしまう人になるかもしれない。
だから、誰かを自分の意見に合わせて強制したり批判しない。今自分が批判していることも未来になったらそちらの方が人類にとって大切になるかもしれないから。もし自分の考えが人類にとって大切な何かを内包しているのであれば、きっと時代が変わって未来に進んだ時に残るだろう。今注目されてもてはやされても、未来に新しい何かが生まれてそっちの方がよければ淘汰されるだろう。それは分からない。だから、今自分が大切だと思うことを頑張ることと、自分の想いを発言することだけが唯一自分にとって出来ることなんだろうと思う。できる限り自分の活動によって不幸な人が生まれないような大きな視点を持って。
いやーなんかとても自分がスッキリしてしまいました!w
a scopeという番組から→コテンラジオ→超相対性理論→みんラボ と言う流れでとても共感した深井龍之介さんつながりでPodcastを聴きまくっていましたが、いろんな学びがあって本当に有り難かった。今日で終わりではなく、まだまだこれからも聴いていきますがwなんだかとりあえず自分の中でひと段落いくところまで吸収させてもらったような気がします。凄い人達の話が聴ける今の時代に感謝!
余談 神様って?
さてさて、全くの余談ですが、風の谷のナウシカにオウムって言う生き物がいたけど、神様って沢山の目を持った、あんな姿をした存在なのかもしれないなーと思いました。でもそれは沢山の目で、なんでも見通すとか、なんでも見ているぞーという監視者としての目というより、一つ一つの目でそれぞれの皆んなを見つめ、それぞれの眼でその全部を受け止めて内包してくれているような、そんな暖かい目を持った存在かもなーと。だからこれって私が考えていた一神教の神様とは全然違ったんですよね。1人の神様なんだけど、全ての多様性を内在している。だから、色んな多様性を持ったまま、皆んなで1人の神様を大切に出来る。そんな神様なら素敵じゃないですか?