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石崎光瑤 カシミールの山旅

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日本画家、石崎光瑤が1917年(大正6年)に旅したカシミールの山をたどります。インド滞在は約6カ月、そのうちカシミールは1か月余りで、特に2つの山に登ることを目的としていました。…
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記事一覧

(9) シシュナーグへの道

石崎光瑤著『印度行記』(1919年2月)は、章があらたまって第18章「シシャナーグ峰」となる。…

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(8) コラホイへの憧れか

パハルガムは東リダル川と西リダル川が合流する盆地にある。標高2145メートル。東の谷を行けば…

kotoyo_sakiyama
2週間前
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(7) 白芍薬と感動の出会い

マハデブ登山から戻った石崎光瑤の一行は、翌々日にはリダル渓谷のシシュナーグ登山に向けてス…

kotoyo_sakiyama
3週間前

(6) 神の山マハデブの眩惑

大正6年、石崎光瑤はヒマラヤのマハデュム峰(3966m)の登頂に日本人登山家として初めて成功…

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1か月前
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(5) ボンベイからスリナガルまで

石崎光瑤の「カシミールの旅」の書きだしはまるで映画のようだ。 地図と参考書 トランクに入…

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2か月前

(4) 「印度行記」を読み解くために

石崎光瑤による「印度行記」は、大正8年2月15日発行の『印度窟院精華』の中に収められた紀行文…

kotoyo_sakiyama
2か月前
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(3) 書名はシンプルがいい

『印度窟院精華』。インド、くついん、せいか。好奇心をくすぐる書名である。 石崎光瑤のカシミールの旅をたどる前に、大正8年2月15日発行のこの本について「全体像」をみておく、と前回書いた。 全体像とはおおげさな、と思われるかもしれないが、この本、調べていくと意外と奥が深い。2000年に復刻された『印度窟院精華・印度行記』は、実は原著の一部分でしかないのだ。 原著の目次を極力正確に並べてみよう。 中身として重要なのは、「緒言」「印度後記」、それとエレファンター以降の石窟寺

(2) 山名は一筋繩ではいかない

「マハデュム」と「シシャナーグ」に向けて、107年前の石崎光瑤はどのルートをたどったのか。 …

kotoyo_sakiyama
2か月前
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(1) はじめに

日本画家、石崎光瑤(1884 - 1947)にとって、生涯忘れられぬ山旅はいくつかある。 大正6年(…

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2か月前
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