命の、心の拠り所として 元伊勢四四 神話は今も生きている ことの葉綴り三七〇
啓蟄
こんにちは。今日は、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」ですね。
これは春の陽気に誘われて、これまで土の中にこもっていた虫たちが、起きだして、地上に姿を現すころ。
春の訪れを、感じますね。
夜明けも早くなってきました。
さて、今日も神話の物語の続きを綴ります。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神の天照大御神さまを、伊勢の神宮にお祀りされるまでの物語。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
味酒鈴鹿(うまさけすずか)の美しい忍山
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行さまは、
大和国の御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)から、天照大御神さまとともに、ご巡幸されていきました。
旅を始められて二十二年目
垂仁天皇の御代、十四年に、伊勢の国に入られて「桑名野代宮(くわなのしろのみや)」に天照大御神さまをお祀りされます。
「桑名野代宮(くわなのしろのみや)」と推定されている「元伊勢」は、三重県桑名市の「野志里(のじり)神社」さんでした。
ここに、伊勢の国を治めている国造(くにのみやつこ)が、倭姫命さまのもとを訪れて、伊勢の国の風習を“レクチャー”し、素晴らしい御田と、お仕えする人々も献上されました。
このときのことです。
次に川俣の県造が、祖大比古命参り相ひき。
「汝が国の名は何ぞ」と問ひ賜ふ。
白さく、「味酒鈴鹿の国の奈具波志忍山」と、白しき。
然して神宮を造り奉りて幸行せしめたまふ。
また神田並びに神戸を進りき。
次に倭姫命(やまとひめのみこと)さまのもとに、川俣という地域を治める県造(あがたのみやつこ)の祖、この鈴鹿の地を開拓された祖神、大比古命(おほびこのいこと)が参上されました。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、「あなたの国の名はなんというのですか?」と、お尋ねになったところ、
大比古命(おほびこのいこと)は、
「鈴鹿の国の名も、美しく穏やかな忍山、奈具波志忍山(なぐはしをしやま)です」と、答えました。
そこで、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、そちらにも神宮(かむみや)をご造営なさり、天照大御神さまをお祀りできるようにされました。
大比古命(おほびこのみこと)は、倭姫命さまに、素晴らしい神田と、そこで働きご奉仕する神戸(かむべ)を献上しました。
文字だけみても、 “お酒の美味しい、美しい穏やかな忍山”と、鈴鹿は、奈(名)も美しいところ、という感じがしますね。
「奈具波志忍山宮」のお宮
こちらの、鈴鹿国の「奈具波志忍山宮(なぐわしのおしのみや)」は、奈其波志忍山宮とも書くようで、「元伊勢」とされているのが幾つかあるようです。
どちらも、三重県亀山市にご鎮座されているようです。
味酒の鈴鹿の、穏やかな美しい山……。
どんなお宮なのでしょうね?
一つは、「布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)」さん。
さきほど紹介したように、大比古命(おほびこのみこと)が、倭姫命さまに、ご神田と、神戸という人たちを献上したことに由来する地名から、この地域の七つの村を「神戸郷」といったのです。
命の、心の、人生の拠り所として
古来から、この土地に暮らす人々は、この神社の大神様を、大切に仰がれて、大祭のときには、みなさんで奉仕に専念されて、また干ばつが起きたときには、郷の人々みんなで、神社に参篭して、天照大御神さまに、お祈りしたそうです。
ほんとうに、この土地の人々の、心の、人生の、命の、信仰の拠り所だったのですね。
今も、境内には、氏子の皆さんが寄贈したであろう石灯篭が、美しく並んでいるそうです。
もう一つは……。
それは次回にいたしましょう。
お仕事いかなきゃ、です(苦笑)。あっ雨になりそう……。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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