琴を弾き神霊を招く仲哀天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り五九七
栗・豆名月の十三夜、見えますように!
おはようございます。昨日は寒かったですね~。季節が急に進んだ感じです。そして、もうすぐ満月に近いですね。
十月の十三夜は、秋の味覚の栗や小豆をお供えする「豆名月」「栗名月」と呼ばれます。今夜は、小豆ご飯を炊いてみようっと!
十月十八日(月)の暦は、六曜は、午前は凶、午後が吉の「先負」で、急ぎの用などは慎重に。
十二直の「除」で、医師へのかかりはじめ、薬の飲み始めが吉。掃除、種まきもよく、障害を取り除くのにいい日です。
二十八宿「張」は、祭祀、婚礼、お祝い事、就職に吉。特に種まきは大吉! そして、ご神事に関することが吉の「神吉日」で、神社のお参り、ご先祖さまに手を合わせることも吉です。
今日、noteを開いたら、「84週連続投稿」のお知らせを頂戴しました! いつも、「ことの葉綴り」に“来て”くださる、皆さん、本当に、ありがとうございます!! 感謝です。
<お侘び>
土曜の朝、「ことの葉綴り」を更新したつもりが、できておらず、翌日曜日の朝にアップしてしまいました。
日曜朝の投稿分と重なってしまい、ごめんなさいです!!
すいません。
一重に、私の“うっかり”“天然”がさく裂してのミスでした。
失礼いたしました!!
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。
最新のマガジンは、倭建命(日本武尊)さまの物語です。
母の胎内ですでに天下を治めた?!皇子
前回、第十四代、仲哀天皇の系譜をご紹介しました。
この仲哀天皇は、倭建命=日本武尊さまの皇子です。
二人の妻を娶り、皇后は、息長帯比賣命さまで、第九代開化天皇の御子、日子坐王の子孫でした。
品夜和氣命と、
大鞆和氣命。こちらはまたの名を、品陀和氣命の、二人の皇子をお産みになられます。
品陀和氣命が、太子で、なぜ大鞆和氣命と呼ばれるかといいますと、誕生されたときに、その腕に、弓を射るときに手首につける武具の「鞆」のような、形の肉ができていたといいます。
この頃、九州の熊曾の抵抗が激しくなっていたことから、天皇は、熊曾討伐のために、「穴門の豊浦宮」(福岡県香椎)にて、天下を治められておりました。
そうした社会の情勢もあって、太子の大鞆和氣命は、”母である皇后のお腹の中にいた胎児のときから、すでに、国の政にあずかられていた”のだ、ということから、このお名前がつけられたのです。
この仲哀天皇の御代には、淡道の屯倉(朝鮮の直轄領)が定められたそうです。
琴を弾きご神霊を招く天皇
仲哀天皇が、熊曾征伐のために、「筑紫の訶志比宮」(福岡県香椎)にいらしたときのことです。
このとき、ご一緒されていた皇后の息長帯比賣命さまには、妻としての天皇を支えるだけではなく、”あるお力”をお持ちでした。
それは、神さまのご神意をお聞きになることができる巫女の能力でした。
これまで、天照大御神さまのご神意のをうかがう「御杖代」となられた、皇女の豊鋤入姫命さまと、倭姫命さまのことをご紹介してきました。
この皇后息長帯比賣命さまも、そうしたお力をお持ちで、神さまのご神託を天皇にお教えして、政の手助けをされていたのです。
「筑紫の訶志比宮」(福岡県香椎)で、仲哀天皇と、皇后息長帯比賣命さまは、神帰せをされて、ご神霊をお招きしてご神託を受けられました。
その方法とは……こうです。
仲哀天皇さまが、御琴を自らお弾きになられて、ご神霊をお呼びされます。
琴の音が、神さまの霊をお呼びする役目があるとされます。
大臣の建内宿禰が、忌み浄められた神おろしをしてご神託をうかがう祭場の「沙庭」にて、神のご神託を待っています。
この、その祭場にいてご神託をうかがう人のことも、「審神者」と呼ばれます。
清らかな祭場に、仲哀天皇さまが弾かれる琴の音が鳴り響いていきます。
すると、次の瞬間です。
皇后息長帯比賣命さまに、神さまがおうつりになり、皇后は神がかりされました。
そして……次のようなご神託がおりたのです……。
それは、次回へ(^^)お楽しみに!!
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#私の作品紹介