アインシュタインの娘への手紙~父の詫び状~momoの『ほほっ~日記』
2020年10月12日。
きょう、アインシュタインが娘に残した
『愛の手紙』の意味を 今日改めて発見した。
まるで、『世界』丸ごと
『自分の過去』丸ごとが癒されたような
感覚だ。
“”愛は光だ。
それは愛を与えかつ
受け取る者を啓発する。””
特殊相対性理論の発見によって
核兵器の製造を可能にしたことを悔いた
アインシュタイン。
自らの科学的発見に対しての自責の念から
出た手紙ではなく、
彼自身の複雑な私生活への懺悔と許しを請う
愛の手紙だったことを知り
静かな涙の流れる思いを感じている。
娘に宛てた愛の手紙
アインシュタインの手紙については
いろいろな翻訳があるようだけど、
ここでは、
『人生、波乱万丈』ひろみさんのブログより
抜粋させていたこう。
天才に翻弄された妻と娘
アインシュタインのこの手紙の重さと
愛の爆弾の意味を受け取るには
少し彼の人生を知る必要がある。
アインシュタインは、
1879年ドイツ生まれのユダヤ人で、
言わずと知れた天才物理学者。
若いアインシュタインは、
チューリッヒ工科大学で
当時としては珍しい
物理専攻の女性と出会い恋に落ちる。
アインシュタインの最初の妻となる彼女は、
セルビア人の
ミレーバ・マリッチ。
学生同士にもかかわらず彼女は身ごもってしまう。
そしてミレーバが学生の身ながら出産をしたのが
アインシュタインの最初の娘であり、
この手紙の宛先となっているリーゼルである。
彼の生涯を描いたドラマの『ジーニアス』を
見たことがある人はここで???と思うだろう。
このドラマでは、最初に生まれたリーゼルは
ミレーバの両親に預けられたまま
幼くして病気で不遇の死を遂げたと
描かれているからだ。
調べてみると、
リーゼルの消息には、いろんな説があり
里子に出された説もあり、
アインシュタイン自身も、
リーゼルの死を疑いどこかで生きていることを
望んでいたのではないかという
エピソードがあるのだが詳細はわからない。
詳しくは、
アインシュタインの裏側という記事を参照。
また、リーゼルの母で、
アインシュタインの最初の妻との結婚は
後に破綻していることから、
当時私生児として生まれた子供だったこと。
母親のミレーバも学生だったこと。
アインシュタインも学生であったことを
考えるに
『里子』としてだれかにあずけられ
リーゼルが生きていたというのは
あり得る話だと思う。
また、
この手紙の愛という言葉の重みを
感じ取るうえで、
その後の結婚でもアインシュタインが
科学的な栄光と業績を掴んだ裏で、
平和で愛に満ちた家族関係とは
遠かったことを付け加えておこう。
詳しくは、こちらの記事を参照のこと。
死ぬ前の父のわび状としての 愛の爆弾を手紙に
アインシュタインがなくなる前に
娘に愛の手紙を託した。
その宛先の娘が
ほとんど一度も顔を合わせたこともない
一緒に暮らしたこともない
娘に宛てたものだったとしたら?
おまけに
手紙の数はなんと1400通。
1980年にヘブライ大学に保管されているという。
自分を許して初めて発動する愛の爆弾
アインシュタインは、科学者としては
特殊相対性理論の発見によって
最高の名声を手に入れた。
しかし、長年の十字架として
娘リーゼルの誕生と、その後の行く末を
彼なりに背負っていたのだということを
新たに発見したのだ。
そして、
『死』を意識して初めて、
リーゼルを自分の娘として愛せなかったこと
それを表現できなかったこと
若きエゴイスティックな自分への怒りとなって
よみがえったのだろう。
その反動が1400通の手紙だったのだろう。
そして、
一人の人間として、
これまで
認めず、なかったことにしてきた
娘『リーゼル』への愛に気づいて初めて
この手紙を書かせたのだと思うと、
これまでと全く違う意味を持って
立ち上がってくるのだ。
このことを言葉にしようとしている時に
ケシ―さんのブログ
【永久保存版】これからの豊かさ ⑦【子供たちについて】
に出あった。
あまりにスゴイ言葉なので、
ここに引用させてもらおう。
アインシュタインだけじゃないよね。
あなたも
わたしも、
みんなこうやって、誰かの元に生まれて
愛を学びにやって来て
還ってゆく。
宇宙へ、学んだ愛を抱え持って。
その愛の大きさと深さに
生きている時に気づくとき、
この世界は異次元的に、姿を変えるのだろう。
そう信じている。
アインシュタインがなくなる前に
『愛の爆弾』として
父の詫び状を書かせた不遇の娘にあてた
愛の手紙。
これの愛を受け取るのは
私たちすべてだ。