頭で書く、心で書く、魂で書く
かな~と思って。
頭で書く、これはわかりやすいですよね?理屈で書くというか、これこれこーだから、こうだよって。説明書なんか典型的で、あとサービスの紹介ページもそうかな?スマホのプランとか、スポーツジムの料金システムとか。あまりそんなとこに心って込めないんで。
わかりやすいのが一番。もうパッと見て「あー、そゆことね」って理解できるのが最優先。
心で書く、これもわかりやすい。てか、noteにはこれが一番多いかもしんない。ようは、わたしはいま何を思ってるのか、どー感じてるのか。それを言葉で届けたい、この声を聴いてほしい。いーですよね、頭で書いた文章の100倍たのしそーな感じがします。
で、実はこの先にもう一個あんだな~ってことに気づいて。
それが「魂で書く」ちょと怖いね(笑)たましいって。でも、これが効くというか、グッと心の奥深くまで入ってくるというか。正直ここまでいくと、ちょとくらい文章が上手いとか、ネタのチョイスがいいとか。そゆの超越してんですよね。
読んでるこっちも、そんなとこ読んでんじゃない。だって「魂」なんだから。書き手の魂に触れにいってんだから。
で、だいたいにおいて。そゆ記事って泣けるというか、別に泣くために読んでんじゃないけど「ああ、泣きながら書いてんだろうな~」って。たまんないすよね、そんなことある?文字は涙流さないし、文章からはなんの液体もこぼれないけど。こっちにはわかんの。
あー、これ泣いてんじゃん・・・って。
で、これを「いや、発信者はあくまで冷静に。読み手にどう届くか計算したうえで言葉を選び、発せねばならない」みたいな考えの人もいるっていうけど。言っていい?うっせーーーよ。こっちはそんな冷静(パスタ)が食べたいんじゃないんだわ。
あっつあつの茹でたてパスタに。これまた、あっつあつのトマトとにんにく煮詰めたソースかかったのが食べたいの。
それを火傷しながらでも、はふはふ言いながら食べるのがうまいの!こちとら、説明なんて聞きたかないし。普段は(364日は)心で書いたスーッと心地いいのがいいけど。たまには地獄茹でみたいな、得も言われぬ複雑な味わいの記事が食べたいんだわ。
誰だ!パスタに例えたの??書きにくいじゃんか。
ようは「頭で書く、心で書く、魂で書く」こんな段階(?)がありますよ。右へ行くほど、うほっ!と喜ぶ民もいるよと。上手く書く、丁寧に書くよりも大切なことがある。36℃の平熱じゃ伝えきれない想いがそこにはある。だから、わたしはnoteにいるのかもしれません。
そんなわたしの魂の記事(でやっ)
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